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壁あつき部屋のotomisanのレビュー・感想・評価

壁あつき部屋(1956年製作の映画)
4.4
 母親の葬儀のため戦犯山中に一日に満たない時限出獄が認められる。そのさなか、暁の道を元上官浜田宅に向かう山中に気づいた知人(おじさん)が山中の犯したことについて、「百姓、職工のした事」と評する。
 上官の命令は天子様の言葉と教え込まれ、人道人倫に則る事はおろか戦場での利害からさえも抗弁する理屈を持たず、殺意悪意など無いまま恩さえ覚える現地人を日本兵と接触した事の口封じのため殺したことに、戦時の規則の重みも分からぬ人倫も軽んずる蒙昧な自分(おじさん)らみたいな者にどんな「自分」があったろうかと、そのころを山中に振り返らせている。ならば、いま1953年、その世間の農民、職工らはどうなっているんだろうか?
 死刑を減ぜられて終身刑となった山中だからそのとき、今がどんな時代か確かめようも無いまま8年を棒に振ってしまっていた。今やっと身近だった他人の感想に触れる。
 殺意を露わにして脱獄に失敗し、失望の末それに至る出征以来の事をオルガナイザー横田に吐き出し、結果、それに基づく横田の手記が雑誌に掲載されて世間に知られ、読む人が読めばそれが山中の経験で山中の手で死ぬべき相手は、親は県会議員の財産家で跡継ぎたる元上官の浜田とは容易に知れるところとなる。
 かつて、蒙昧のため法廷での浜田の偽証に対して怒るばかりで裁判官に向けて自白内容の撤回と事実を説明し直す抗弁を何一つできなかった山中が送還後、妹から浜田のその後を知らされ、再び怒りによって呆然とした中からやっと抜け出し、脱獄未遂やら曲折の末いま、おじさんから始めて世間に味方がある事を知らされる。
 こうした経過から主題を考えれば、野放し的出獄の無理も気にはすまい。焼き場へ向かう坂の半ば、妹が告げる「いきてゆく」が、横田の想いも届かず今や街娼のヨシコの捕虜に憧れたように外人さんと生きてゆく有様とまた違った生きてゆくに感じられなくもない、日本のやり直し時代の始めを感じさせる。
 それは「生きてゆく」の様々の一つとして山中が戻り際買うキャラメルひと箱にも感じる。それを同房の皆に向けて、「絶交」の横田に向けて投げてよこす事に、外の事は外の事として終身刑受刑者山中の過重に負った罰ではあるが、そうやって生きて来たことの必ずしも成すところの無かったわけではない、8年の拘束で親の死に目にも会えずとも、娑婆に在って浜田を殺したであろう結果、蒙昧のまま怒りの消えぬまま本当の殺人者として処罰される事を免れて今日に至る事ができたのを幸運と思うかもしれない。
 獄舎の錠が下りるのに振り返り直る後ろ姿に、その後の70年を知る身として首を垂れるほかない。3年の塩漬けでさえその3年間の成り行きの残酷さが観衆を気落ちさせたのではないかとも想像する。ちなみに'53年末には有名なフィリピン法廷の死刑囚たちが二度の恩赦により放免とされている。やはりその時に見られるべき映画であったと思う。ただ、そののち浜田が凋落するか問えばそうはなるまい。財力と名望でものごとを通せる世界がある限り、浜田を担いで良い目が見られる際がある限り、何かの疑獄で尻尾切りを食らうまでかも知れないが栄え続けるだろう。しかし、慌てて飛び乗った乗り継ぎ列車の向かう先が正しいかどうかわからないままであっても、さしあたり「いきて」いかねばならないなら、少なくとも天子様を騙る言葉一つで道を限られる事のなくなった時代、ひとりの浜田に対し幾万の妹やヨシコ、横田、山中らがほそぼそ生き延びるなら世界には未だ可能性があると1953年であっても感じられたのではないだろうか。
 そうしたなか、同房6名中ただひとり死ぬ川西の死に際に見る寂々とした世界の怒りを向ける相手さえいない事が目を惹いた。殺す相手とただ二人、突けと命じる声と怯みを見透かす目を潰せば死んでただ二人だけ、それで本当の申し訳なさを告げられると思ったろうか。
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