Ricola

この広い空のどこかにのRicolaのレビュー・感想・評価

この広い空のどこかに(1954年製作の映画)
3.9
皆善良な人間ではあるが、どこか素直になれなくてなかなかお互いに心を開けない。
戦後のまだ混沌とした世の中で生きる家族の物語である。
筋書きは理想主義的すぎるかもしれないが、その前向きで優しい心の彼らに救われる気持ちになる作品だった。

川崎で酒屋を営む一家は、後妻で義理の母にあたるしげ(浦辺粂子)、戦争で足を悪くして恋人も失った泰子(高峰秀子)、彼女の兄の良一(佐田啓二)とその妻ひろ子(久我美子)、一家の末の息子で高校生の登(石濱朗)で構成されている。
ひろ子と泰子の義理の姉妹仲や嫁姑関係があまりうまくいっていないなど、どことなくぎこちない空気が漂う。


作品のタイトルにもある通り、彼らは空を見つめている。空に向かって希望を、夢を語るのだ。
まずは煙が昇り続けている空について。工場などから発生する黒い煙に、戦後日本の発展を願うように彼らは夢を見出す。
「この空の下のどこかに僕を愛してくれて、一緒に苦労をしても楽しいと言ってくれる人がいるんだと思うと、頑張れるよ」
「だから自分を大事にするんだ」
末っ子の登の言葉。彼は友人の三井(田浦正巳)にそう語りかけ、工場の煙がモクモクのぼる空を見つめる。
他のシーンでも、工場だかなんだかの煙が空にのぼっていくショットが見られる。
例えば、ひろ子が同郷の友人と話しながら歩いている後ろ姿のショットの背後にも煙が見られる。
また、セーヌ川の歌を歌いながら登は泰子を乗せてボートを漕ぐシーン。煙突から大きくて長い煙が天まで昇っていく。
この煙を、「胸の中をきっと燃やしてるんだ」と表現できる登の希望が眩しくはあるがとても心強い。

煙のない空ももちろんある。
気球が伸び伸びとそよ風に吹かれている。それを見て、夫婦は平和や幸せを願って「ボール」を投げる。
田舎の空では、雲が山に覆いかぶさっていて鮮明に映し出される。
煙がある際の空は夢や希望を抱いたり、過去を思う一方で、煙のない場合では平和を願ったりまたは平穏さを表す風景が広がるのだ。

最後に、人物の描写にも少し触れておきたい。姑と嫁のぎこちなさは、人物の配置と画面の切り取り方に表されている。
例えば、仕事場と家の仕切りとなる暖簾越しに見える姿。せっせと働くひろ子を、店から見てお客さんと話すお母さん。
逆に、ひろ子は店側からお母さんが家にいるのをうっすら見る。
酒屋という仕事の場と、家という私的な空間を仕切る暖簾は薄いけれど、嫁と姑の溝の深さを垣間見える構図のショットである。

大変な時代だからこそ希望を捨ててはならない。綺麗事かもしれないけれど、そういった前向きに生きる姿と人びとの優しさに心があたたまった。
Ricola

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