女は「見た」といい、男は「見ていない」と言う。
私の修学旅行はヒロシマだった。ただ、与えられた時間は60分だけ。
「何を見た?」
見たものは羅列できても、見ていない。
日本人にとっても、遠くなっている、忘却に蝕まれている記憶。
そのあと書いた作文はあまりにも陳腐で、破り捨てた。
「書いた」「書いていない」
日本人である私にすらもう、「分からない」ものになりつつある。
アラン・レネの作品は初めて観た。ヌーヴェルヴァーグを探っていくなかで必ず聞く名前。
観たかった。
夜の広島。眠らない街。さまよう女と男。
決して実らない愛。
「戦争が、、、」 「戦争が、、、」
無ければ、幸せだったのか、出会わなかったのか、有ったから、出会ったのか。
こうやって、ヒロシマを見るのはなんだか新しかった。
何回も観たい映画。