【神話の解体】
スコセッシがデビューした70年代。ハリウッドの中心には2本のイタリア系映画『ロッキー』と『ゴッドファーザー』があった。同じイタリア移民として悔しかったのだろうか、その後彼はこの2作へのアンチテーゼのような映画を作り上げる。前者が『レイジングブル』で後者が本作だ。
なにからなにまで『ゴッドファーザー』の逆打ちで出来ている映画だ。主人公の血筋や、マフィアの世界を頂点から見るか/底辺から見るかという物語の違いもさることながら、特筆すべきは、その演出スタイルだ。
ワルツのリズム(事実、あのテーマ曲は3拍子)で重厚に進む先人に対し、今作はロックのそれで軽快に疾走する。「主人公の少年時代だけこのテンポなのだろう」と思いきや、演者がレイ・リオッタになっても(なんと最後まで)これで通してしまう。スプリントの長距離走を見る様な衝撃だ。
苦悩するコルレオーネ家の面々と違い、本作の登場人物の内面はほとんど掘り下げられない。デニーロとジョー・ペシのスコセッシ組も最後まで何を考えているか分からないし(それでも存在感だけで怖がらせるお二方の凄み)、主人公のヘンリーは(ボイスオーバーまでやってるのに)そもそもが中身のない刹那的な人間なので(ラストシーンでも絶対反省していないよな)無駄に感情移入せずに済む。
マフィアの世界を全く礼賛していないが、否定する説教臭も皆無だ。『ゴッドファーザー』を神話とすれば、本作はバカな男の「人生ダイジェスト映像」であり、さながらドキュメンタリーのような立ち位置に思えた。