レオピン

ハロルドとモード/少年は虹を渡るのレオピンのレビュー・感想・評価

4.4
頑張って 相棒!
懸命に生きるの

偶然だと思うが本当に虹をとらえたショットがあった。邦題のセンス、悪くないよ。

心が疲れ切って仮死状態にあった魂が人間性を取り戻していく系
この作品の型はいろんなところにあると思う。天才バカボンでもいい。寅さんだって両さんだって、息が詰まってきたら人間にはこんな異界に住んでいるようなムチャクチャな存在が必要なんだ。

この映画も世のクリエイターたちへ相当に様々な形で影響を与えているのだろう。「野ブタをプロデュース」にも確か引っこ抜かれた柳の木が川を運ばれていくシーンがあった気がするが、脚本の木皿泉も好きなのかな。

71年といえばロックスターの死が続きフラワームーブメントも下降をはじめた頃だが、映画の世界ではアメリカン・ニューシネマはまだ意気軒昂だった。大してお金をかけなくたって人の心を揺さぶる面白い映画が作れるということを証明していた。

ハル・アシュビーは当時のカウンターカルチャーの申し子のような存在だ。泥沼にはまりこんだ大義なき戦争の渦中、ヒッピーたちが何に抵抗し何を目指したのか。
結局は「自分に忠実に やりたいことをやって生きる」
これに尽きると思う。まずはネイサンヘイルを疑え。動員を憎め。常識を笑え。

向けられた銃口に花を挿しこんで抵抗を示した若者たちの理想は間違いではなかったと思う。共感できる。そこにはおかしな主張や急進的な態度、個人的な体験に依りすぎる側面もあったが、大づかみにいって理想はよしだ。

世の中だんだんと安心安全便利快適ばかりになっていくが、そうやって先廻りされればされるほど精紳は閉塞せざるをえない。想像力も枯れてしまう。傷つくことを遠ざけていると、より深いところが傷ついてしまうというこの矛盾。語源からしてセ・キュアということは関心をなくすということだからこれは当たり前だ。

今後もますますこの傾向は続く。狂言自殺か拡大自殺か。自由なようで自由がない。遊びがほぼない隘路、ナローな時代。そんな中でいかに抜け道を見つけるか、裏道を探すか、そうして避難しつつも手をつなぐことが出来るのか。

今、ケアということばがさかんに叫ばれているが特に男性はしっかり意識をもっておきたい。気づいたら生きる屍とならないように。

自分の感受性くらいという茨城のり子の詩が好きだ。
モードも似たようなことを言っていた。
「世の中の不幸はこの花のような人がもたらす
 他人と同様に扱われても何とも思わない人々が」

まずは自分がご機嫌でいられることが何よりも大事。そのために、

・趣味は多めに持っておく(上達は目指さない、むしろ下手でいい)
・モノに執着しない
・自分が何に反応するか知っておく
・何かひとつ新しいことをする
・今日を最後と思って生きる

最後のは難しいやつだが、一応の心構えとしてね

ま、生きてりゃいろいろあるけれど都度都度立ち戻ってきたい、そんなとってもいい映画。

⇒撮影:ジョン・アロンゾ
⇒脚本:コリン・ヒギンズ『ファール・プレイ』('78)
⇒音楽:キャット・スティーヴンス『早春』('70)

⇒ホロコーストサバイバー映画ベスト級
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