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真実の行方のn0701のネタバレレビュー・内容・結末

真実の行方(1996年製作の映画)
4.3

このレビューはネタバレを含みます

ある若い男が都会にやってきて、2年間大司教の元で暮らすことになる。そこで知り合った女と付き合うことになった男は、女と共に大司教を父のように慕い、尊敬する。

だがあるとき、大司教は悪魔祓いとしてその若い男と彼女の女、同じような境遇の若い男を裸にし、ポルノを撮る。

それが事件のきっかけとなる。
大司教は片手を引き裂かれ、目を潰され、体を47箇所刺されていた。犯人は逃げ出すが、直ぐ様逮捕される。

彼を弁護することになったのが、リチャード・ギアだ。相対するのは若い判事の女。明らかに犯人は逮捕された男であり、死刑間違いなし、のはずであったが、そこから物語は始まる。

物語は大司教と判事のトップが犯した罪や汚職が明らかになり、やがて大司教のポルノ撮影にまで辿り着く。

そこで若い男の二重人格が発覚する。
オドオドして内気な男であった若い男には殺害なんて出来ない。真犯人は、男の中に眠る「ロイ」という人格だったのだ。「ロイ」がポルノを撮影し、恋人との関係を壊した大司教を惨殺したのであった。

と、若い男こと「アーロン」は企んでいた。
アーロンは大司教の殺害を「芸術」と呼び、元恋人の殺害はただの殺しだと素直に認める。無罪が確定した後に。

アーロンはロイの人格が現れているときは記憶がないという設定だったのだが、ロイの人格のときに判事の首に掴みかかったことをうっかり口にしてしまったのだ。

そう、初めから「アーロン」なんていう内気な性格の男は存在していなかったのだ。





さて、これを見たのは高校生のときで、その時はこれほどすごい映画、というか演技はないと思った。エドワード・ノートンの大ファンになったものだ。

だがあれから15年かそこらの月日が流れ、思うことがある。

なぜ「ロイ」の性格にもかかわらず、ポルノを撮らせたのか、ということ。そして、なぜ一緒にポルノを撮られていた男に「アーロン」のことを事細かに聞かなかったのかということだ。
あまりの性格の違いは、「アーロン」の過去を調査すればすぐにでも分かったものではなかろうか。

確かにエドワード・ノートンは凄いんだが、アーロンはちょっとボロがある。ちょっと残念だ。
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