小説や漫画が映画化されると、必ず原作が先か、映画が先かという問題が出てくるが、私は断然原作先行派。基本的にラストが分かっているものを見直す(読み直す)のに2時間は我慢できるけど、数日は我慢できない、というのが1番の理由だが、自分のイメージしていた原作を他人の目を通じて見直す行為の方が、「映画版はこうだったが原作ではこうだったのか」という再発見よりも好きだ。ただ、時として「原作ではこうだったのに、映画版では違う」というのが我慢できないレベルになることがある。で、本作『炎のゴブレット』は、このパターン。
前作までは、多少の省略や改変は時間の関係上仕方ないし、ストーリーやキャラクターには影響もなく、原作と映画版の違いなど気にもならなかったが、本作ではそういう犠牲をしてまで作り上げた本編が、あまりに表面的すぎて面白くない。確かに、クィディッチ・ワールドカップは原作でも冗長だと感じることはあったけど、まさか開始のホイッスルで終わるとは思わなかったし。原作の面白いところだけ取り出して繋げた感じが否めない。普段は何もかも見透かしたダンブルドアも、今回は盛大に混乱していて、最後だけ分かった顔を取り繕っていたけど、それは違うと思った。シリーズ中盤の、それもヴォルデモート復活に関して重要な転換点となるべき作品だっただけに、もう少し練った脚本が欲しかった。確かに、大人へと成長していく主人公たちのセンチメンタルな部分にも光が当てられるのが本作の特徴だが、それもメインとなるストーリーがあってこそ。そしてやはりゲームかというくらいCGが多くて、私の感性には合わなかった(『アズカバンの囚人』ではロケも多用していて、適度に息抜きできていたのに)。
こうした演出上の不満は大きかったが、主人公たちも俳優として成長してきているのが見れたのは良かった。ハーマイオニーは情緒不安定すぎた気もするけど、14歳の女の子と思えば当然かもしれない。一方、アラン・リックマン、マギー・スミスらのキャラクターの掘り下げは見事で、出番は少ないながらも存在感大。それに加え、今回はラスボスに相応しく、イギリス演劇界のラスボス、レイフ・ファインズの登場。その反面、Dr. Whoことデヴィット・テナントの扱いがあまりに不憫…。
今後の展開が楽しみだが、同時に不安になってきた。
2017. 5