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マイウェイ 12,000キロの真実のodyssのレビュー・感想・評価

1.5
【残念ながら】

最近の韓国映画には良質のものも多いけど、これは違いますね。駄作の部類でしょう。

まず、前半ですけど、「これって、反日映画なんじゃないの?」と思いながら見てました。(念のため付け加えておきますが、韓国映画を見て「反日だな」と思うケースは、私の場合、今までは余りありませんでした。)日本人が朝鮮人を差別することは当時としてあったでしょうし、そういう描写自体が悪いと言うのではありません。しかし、最終的に日韓両国青年の友情を描くのであれば、単に差別する側とされる側という図式で物語を進めてはいけないはず。差別の中にも通じ合う部分がなければ後半につなげることはできない。

ところがこの映画では二人の接点は走るということだけに限定されており、それ以外のつながりあるようには見えない。そして走る以外の部分がきわめて浅くてステレオタイプ的な人間像と筋書きに終始しているため、さっぱり説得性が出てこないのです。日本人はひたすら悪であり、朝鮮人はひたすら差別される側――こんな図式的な映画が今どき大人の鑑賞に耐えるはずがありません。作った側の人間観の浅さが露呈しているのです。

最後近くになってようやく二人の友情が実のあるものに見えてくるのですが、いかんせん、前半の基礎的な部分がダメだから、急ごしらえででっちあげたような印象が消えません。

歴史的考証もどの程度やったのか疑問。

二人がマラソンで対決するシーンでは、「折り返し点」なんて表示が中間地点で出てましたが、当時は旧漢字の時代で「点」じゃなくて「點」でしょう。

暴動を起こした朝鮮人を裁いた結果、兵士として最前線に配属って、ありですか? だいたい、そんな朝鮮人を配属しなくても1938年に初めて朝鮮で志願兵募集があったときには、きわめて高倍率の応募者があったはず。

ノモンハン事件で敗北した責任をとらされた大佐が二等兵に降格させられて切腹って、そりゃないよ。この事件では司令官が責任を問われて自殺はしていますけど、切腹や降格の事実はないはずです。

逆に、長谷川辰雄がそのあといきなり大佐で登場しますが、あの若さで大佐はあり得ません。せいぜい大尉がいいところ。大佐と言ったら40代にならないとなれないはずです。

戦争シーンが延々と続き、カネをかけているのは分かりますけど、しまいにはうんざりしてしまう。脚本の浅さを戦闘シーンの壮絶さで補おうというのでしょうが、それより、前半の二人の日常生活や交流に時間をかけて、脚本にふくらみを持たせるべきだった。

私は、カン・ジェギュ監督作品は有名な『ブラザーフッド』は未見で、日本で韓国映画が注目されるきっかけとなった『シュリ』しか見ていないのですが、『シュリ』にも銃撃戦を延々と描くなど、単調なところがあったと記憶します。今回、『マイウェイ』を見て、同じような印象を持ちました。

最後に、パンフや作品サイトに登場している稲葉千晴・名城大教授の記述に疑問を呈しておきましょう。

まずパンフでは「日本占領下の朝鮮」について次のように記しています。
「1910年に日本が韓国併合を断行し、京城に朝鮮総督府を設置、多くの土地を奪い、”創氏改名”を強要するなど、皇民化政策がすすめられた。たびたび排日運動が行われたが、支配は1945年の第二次世界大戦終結まで続いた。」
字数に限りがあるので簡略な記述になるのはやむを得ないとは思いますが、近年、日本の支配により朝鮮半島の近代化が進められ経済的にも発展を遂げたというプラス面も明らかになっているわけで、そこに全然触れていないのはいかがなものかと思います。
また「創氏改名」のうち、改名については強制ではなかったことがはっきりしていますし(ただし誘導はあり、立場によっては強制に近い場合もあった)、創氏にしても、巷間考えられているような日本的な姓への転換を強要したわけではなく、朝鮮的な姓をそのまま名のっていた朝鮮人も多かったのです。また、創氏改名の法律はそもそも1939年に作られており、日本の韓国併合から約30年もたってからなのであって、一説には徴兵目的で行われたというのですが、いずれにせよ併合直後から一貫してそういう政策がとられていたわけではなかったことは明白でしょう。

次に、作品サイトでの記述ですが、

>1930年代の日本軍には、日本人だけでなく植民地朝鮮や台湾の人々が含まれており、ノモンハン事件には満洲国軍の兵士(漢人・朝鮮人・満洲人など)も参加している。〔ノモンハン事件後に捕虜交換が行われたにもかかわらず〕ソ連側に残った日本兵は、ほとんどが日本人ではなかったはずである。徴兵されて無理やり戦場に送り込まれた本映画の主人公「キム・ジュンシク」のような朝鮮人だった可能性が高い。

私が上で書いたように、朝鮮で初めて志願兵募集があったのは1938年で、応募者多数で倍率も高く、また志願である以上「徴兵されて無理やり戦場に」という表現が妥当かどうか疑問です。もしかすると稲葉氏は「映画でそうなっているからそう書いた」とおっしゃるかもしれませんが、フィクションと歴史的事実はきちんと区別できるように記述するべきではないでしょうか。

そして上の引用に続けて稲葉氏は次のように書くのですが、

>日本人であるにもかかわらず、あえて捕虜交換を拒んだ人物がいるとすれば、捕虜に自害を強いるような日本軍の人道無視の体質、それを熟知した将校ではあるまいか。まさに、もう一人の主人公「長谷川辰雄」に違いない。

ここも、フィクションと歴史的事実がまぜこぜになった記述でしょう。

そもそも、この映画の冒頭では「事実にもとづく」というテロップが出ていますし、映画のタイトルにも「真実」が入っており、またパンフの裏表紙にも「真実の物語」と書かれています。
しかしパンフに掲載された監督の談話を読む限り、真実というのは、朝鮮人の青年が日・ソ・独の三カ国の兵士体験を積みながらユーラシア大陸を横断したということであって、この映画のように日本人青年と朝鮮人青年が差別的な感情とマラソンでのライバル意識を持ちながらユーラシア大陸を横断したということではありません。この映画の「真実」とは、おそらくはこの映画を見た人が内容として受け取る部分から大幅にズレているのです。

以上のような「真実」の実態を踏まえるなら、稲葉氏の上記のような記述はフィクションを歴史的事実と思わせかねない危うさを持っていると言わなくてはなりません。
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