アニマル泉

ニーチェの馬のアニマル泉のレビュー・感想・評価

ニーチェの馬(2011年製作の映画)
5.0
タル・ベーラ自ら最後と公言する作品。ベーラの作品に物語を追ってはいけない。物語や人物主義で見ると退屈極まりなくなってしまう。ベーラが描きたいのは物語や人物の行動ではないからだ。ベーラは「映画は世界とのコミュニケーションだ」と言う。ベーラは時間と空間そのものを映像と音で描きたいのである。だから心理学の「ゲシュタルト・チェンジ」つまり映像の図と地を反転させなければならない。「図」である人物ではなく「地」である空間を、編集ではなく時間そのものを、である。アクションや物語に収斂すると、こぼれ落ちてしまうものがある、だから時間そのものと空間そのものを描きたい、その方が遥かに豊かなエモーションが与えられるというテーゼだ。ハリウッド映画とは真逆のアンチテーゼになる。
本作は6日間の物語である。プロットとしてはハリウッド映画ならば20分で描ける物語だ。しかし図と地を反転させた見方をすると実に豊かで至福な映画的体験になる。ベーラは「時間と空間の魔術師」なのだ。
例えばベーラ独特のじわじわと途轍も無く長い移動撮影、これは映画の「息遣い」だ。長回しによって映画が呼吸している、映画が生きている。そう感じると長回しがとてもスリリングで豊かになってくる。映っている人物中心ではなく、光、音、風、などの空間そのものとワンカットの時間そのものの緊張感こそがベーラ作品の真骨頂になるのだ。
【1日目】
農夫のデルジ・ヤーノシュと娘のボーク・エリカが嵐の中を馬を連れ帰ってくる。「サタンタンゴ」を彷彿とさせる、枯葉と地煙が舞うもの凄い風だ。馬を外して荷車を解く。右手が麻痺している父の洋服をエリカが脱がす。ジャガイモを茹でて手で食べる。夜、寝る。二人のルーティンはこれだけだ。我々は全ての工程を省略なしのワンカットでつぶさに見せられる。以降は毎日このルーティンが単調に繰り返されることになる。「風」はベーラ得意の主題だ。無人と廃墟による終末観も濃厚だ。会話はほとんど無い。
【2日目】
朝、エリカが起きて井戸の水を汲む。ヤーノシュを着替えさせる。ジャガイモを茹でて、食べる。1日目はヤーノシュ方向のアングルだったがこの場面はエリカ方向のアングルだ。馬を準備するが馬が言うことを聞かず出るのをやめる。ヤーノシュは薪割り、エリカは洗濯をする。この場面の長回しワンカットが無類に美しい。最初は薪割りしているヤーノシュ、カメラがトラックバックすると洗濯しているエリカ、湯の蒸気が逆光で豊かに昇る、奥からヤーノシュが手間に来る動きでさらにトラックバックしてカメラ前にヤーノシュが洗濯ロープを吊す、エリカが白いシャツをバサッと水切りする、このバサッという音が実に素晴らしい、そして洗濯ロープにシャツを干すと画面を白くマスクする。見事なワンカットである。空間と時間そのものが息づくベーラの真骨頂のショットだ。男の来客があり、焼酎(パーリンカ)を売ってくれという。男の話では街は嵐で壊滅したらしい。男が帰る後ろ姿を窓越しのフレームショットで捉える、男と稜線と一本木が印象的なベーラらしいショットで終わる。
【3日目】
馬が餌を食べない。2人の朝食のジャガイモ、この場面はエリカとヤーノシュのパラ2ショットだ。その時、異変が起きる。白馬の馬車に乗った流れ者達が敷地内に乱入して勝手に井戸水を飲みだした。エリカが追い返すが相手にされず、ヤーノシュが斧を手に現れると流れ者一行は立ち去る。この場面は、扉を開けてエリカが外へ出るところから、扉のフレームごしに見事な長玉ワンカットで描かれる。流れ者から貰った教会の堕落を指摘する本をエリカが読む。
【4日目】
井戸水が枯れてしまう。他の場所へ移住するために旅立ちを準備する。この場面も、エリカが荷車を用意する、カメラはヤーノシュについて馬小屋へ移動、そのままヤーノシュが病気の馬を荷車まで引いてくる、その間にエリカが荷車に荷物をまとめていて、ヤーノシュの合図でエリカが荷車を引っ張ってヤーノシュと馬と嵐の中を出発する、以上が驚異的な長回しワンカットで描かれる。一行は稜線を進み、一本木を向こうに下りてフレームアウトする、しばらくの間があって、なんと一行が再び現れて帰ってくる。この長玉ワンカットも味わい深い。理由は判らないが旅立ちは失敗した。帰ってくると荷解き、窓からエリカが外をじっと見据えている、ちょうどカメラ目線になる。
【5日目】
ヤーノシュが馬を諦めて縄を外す。ヤーノシュも食欲がなく、窓外をじっと眺める後ろ姿。夜、とうとう油と火種が尽きる、室内は真っ暗になる。
【6日目】
朝食、暗がりで生のジャガイモを前に呆然となるエリカとヤーノシュ。

映画の息遣いのような長回しは、ずっと覗き見をしている感覚になる。時折挿入されるモノローグは誰の声?誰の視点なのであろうか?
劇伴奏はワンメロディーが繰り返される。ベーラにしては音楽が雄弁である。
白黒ビスタ。
アニマル泉

アニマル泉