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数に溺れてのarchのレビュー・感想・評価

数に溺れて(1988年製作の映画)
4.3
検察官の男の1,2,3…画面には数字が順番通りに映し出され、粛々と100までカウントダウンされていく。次の数字、次の数字と探してしまうのが観客のサガなのか。
検察官の男が3人の女性に翻弄される男が、理性と持ち前の気骨のなさで至る結末は、その数字によるカウントダウンによって運命論的な結末に見えてくる。ピーターグリーナウェイ作品におけるウィドウは、開放された自由な女性として表象され、何にも勝る存在として描かれる。そわな女性が3人も登場するのだからあの検察官に勝ち目は無い。

耽美で理解不能な死はあまりに親密な距離にいて、あっさりと消化される中で、唯一観客にとって心迫るものとして描かれる死は少女と少年の死だろう。この映画で、死に悲しみを感じるとは思わなかった。

本作は他のピーターグリーナウェイ作品と比べてもウェス・アンダーソン的。シンメトリックな画もそうだが、人物の画面内での動かし方、暗闇の中で奥から走ってくる少年とか横にドリーしていく画角の中に収まろうとする人々の様子などが特にそう。
だけど、やっぱりその死の物語上でのウェイトとして、正反対。
とにかく美しいものに殺されたい、美と最終的な死は隣り合わせだというシャルル・ボードレールを彷彿とさせる変態性の極地とも言うべき作品だった。
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