真田ピロシキ

るろうに剣心の真田ピロシキのレビュー・感想・評価

るろうに剣心(2012年製作の映画)
4.0
新作をやるので6年ぶりに。

この映画はかなり好きでして。緋村剣心を描くにあたって必要な事は何なのか。飛天御剣流の現実離れした必殺技?SNKやマーベルで見たような敵キャラクター?否。元々は優しすぎて人なんか殺せなかった人間が大義のために大勢を殺めた結果に消し去れない罪悪感と人斬り抜刀斎という人格を植え付けられてしまう。その贖罪に何が何でも人は殺さない困難な理想を貫こうと決意し、卓越した殺人術と相容れない綺麗事を現実が幾度も阻もうとする。そうした現実の障害となるキャラクターとして幾度も剣を交えた悪即斬の宿敵 斎藤一、命も魂も金で飼おうとする阿片商人 武田観柳、人殺しの魔道に魅入られた鵜堂刃衛が対峙し剣心とせめぎ合う。これらを原作漫画の筋書きに拘ることなく一本の映画として換骨奪胎出来ている点でマンガを絵コンテ兼台本にしたような作品とは違う志を感じられる。キャラクター選出では原作漫画の最終章に出ていた傀儡師と肉弾戦マニアを先取りしていて、特に傀儡師は御庭番衆般若と暗器使いが混ざったほぼオリキャラ。それでも剣心の対となるキャラクター性を持ち戦闘面ではワイヤーと二丁拳銃を駆使した他にない個性があって物語でも演出でもるろうに剣心の世界を満たす。

剣心が神谷道場に入る時と出る時に一礼していた所に剣心の人となりが表れていて、その後土足で上り込むチンピラ士族崩れとの対比になってるのが良い。今では少年ジャンプのマッチョイズムが忌むべきものとしか思えないが、高すぎる力量と剣術に対する誇りを持っていながらもそれで誰かを倒して強さをひけらかす事には何の興味もない剣心は自分がまだ好きでいられる数少ないジャンプキャラクター。優男として世間に軽んじられても意に介さず理想は貫く。個人としての心の強さこそ緋村剣心なのである。そういう個人の在り方を見たから左之助は売った喧嘩を引っ込める。全然威張らない伝説の人斬りより威張り散らかして数を頼みにする成金に喧嘩売った方が面白いだろう?殺す数だって人斬り抜刀斎が奪った数より観柳が殺しこれから殺す数の方が上だと。そんな侠者気質を長々と話する事なく描いたように言葉にしない所で細かい演出がされている。

こうした演出が一部ではとても野暮ったくなってて技をいちいち口で説明してくださる刃衛は残念。説明しないとどうしても分からないオカルト技なのが痛い。他に何か方法はなかったのか。シャンデリアを落とすため斎藤に漫画ですらアホくさい技だった対空の牙突をさせたのにも失笑。走り回りながらチャンバラしてるだけで十分少年漫画の超人をやれていたというのに。だが原作と違って弥彦を観柳邸殴り込みに参加させなかったように実写映画として成立させるためのバランス取りはやはりちゃんとしてる。

これが続編でマンガの実写化に成り下がった時の落胆と言ったら。キャラクターはいるだけ。話は原作をなぞっているだけ。幸いにも次の映画のメインとなる縁は志々雄と違ってあまり人気がないので(自分は話をほとんど覚えていない)マンガの再現に拘らない映画へと戻って来れるかもしれない。人誅編の敵キャラクターを本作でフライングしたのでキャラ飽和は防げそうで、今では存在そのものがヤバいヴェノム等は出すにしても大きく変えるだろうから映画としての創意工夫が期待できる。本作の回想で少し触れられた追憶編もやるのであろうからマンガ演出を可能な限り削ったOVAのように洗練された剣心が戻ってくることを願います。