おそらく、1959年頃の四国、四万十川周辺の貧乏な村で、貧乏な雑貨屋を営む小林 薫・樋口 可南子夫婦と5人の子供たちのひと夏の生活を、次男の小学生を中心に描いた物語である。
我が国が、高度成長期に入る頃だが、まだこの片田舎にはまったく関係なかった。ほんとうに貧しい。電化製品として、テレビはもとより、洗濯機さへ出てこない。あるのはせいぜいラジオだけ。彼らの店舗兼住宅はあばらやであり、友達の家は掘っ立て小屋に近いものだ。
今でいういじめが描かれるが、意味は現在より単純だ。貧乏人が貧乏人を自分より貧乏なことを理由にいじめるのだから。生活のため都会へ働きにでる姉との別れ、生活のために都会に出ていく友との別れ、四国ならでは台風という自然の厳しさ。
それらが、「山があり、森があり、川が流れ、子供たちは、その川で遊ぶ」、我が国の原風景と呼ばれるものと共に、淡々と描かれる。
それは、恩地 日出夫監督が、素人の私にさえわかるように、映画とはこんな風につくるんだよと、教えてくれているようにさえ思えた。
そして、この作品には、ちょっと前に流行った「君たちはどう生きるのか」という問いかけが虚しく聞こえるものがあった。この作品に登場した彼らにとっての答えは「生きていくために、生きていく」なのだから。
小林 薫・樋口 可南子もまだ若く、そして画面の中に芹 明香の姿を、エンドロールに助監督 三池 崇史の名を発見した時は嬉しくなってしまった。
私の頭のアンテナが違う方向に向いていた30年の間に、我が国の映画界の片隅に、このような佳品がぽつんと輝くようにあった。そして、それを見つけることができたのはこの上ない喜びであった。
興行的には期待できないこのような作品を制作した関係者一同に敬意を評したい。
私と同い年の映画評論家 寺脇 研が、自身の映画の原点として見出したのは同監督の「めぐりあい」(68)だった。けだし慧眼というしかない。