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彼女が消えた浜辺のnetfilmsのレビュー・感想・評価

彼女が消えた浜辺(2009年製作の映画)
4.0
 テヘランからほど近いカスピ海の沿岸のリゾート地。セピデー(ゴルシフテェ・ファラハニー)は大学時代の友人たちに声を掛け、3日間のヴァカンスを過ごしに来る。メンバーはドイツでドイツ女性と離婚したアーマド(シャハブ・ホセイニ)、その妹ナジーと夫マヌチュール、セピデーの友人ショーレ(メリッラ・ザレイ)と夫ペイマンと子供たち、セピデーの子供が通う保育園の先生エリ(タラネ・アリシュスティ)。セピデーはこの旅行を、エリとアーマドの出会いの場にしようと計画していた。セピデー以外のメンバーとは初対面のエリだったが、皆が彼女の美しさと聡明さに触れ、彼女を温かく迎え入れた。セピデーが予約していたヴィラは手違いで満室となっており、海辺の朽ちかけた別荘に案内される。別荘は何年も使われていなかったが、そのロケーションに誰もが夢中になり、休暇を楽しむ。映画は冒頭、ヴァカンスに向かう車中の楽しそうな風景を切り取る。物語に登場するのは全てイラン人であるが、これが白人や黒人ならば欧米映画と言われてもおかしくない。避暑地に向かってヴァカンス旅行に出た複数のカップルがホテルに断られ、イレギュラーな洋館に泊まる。浮かれ気分の若者たちが一人ずつ犠牲になる絵が浮かぶが、今作はそういうありきたりな展開とは別の様相を呈し始める。

 彼らの良好に見えた人間関係は、エリの失踪事件により音を立てて崩れていく。人間同士は簡単に疑心暗鬼に陥り、簡単に良好な関係が一瞬にして険悪な雰囲気になるということを、いとも簡単に描写してみせたファルハディの脚本に痺れる。ここには一発の銃声も大きな爆発もありはしない。それでも一人の人間の失踪から真に上質なサスペンスが取り出せる。思いがけずついてしまったたった一つの嘘が、思いもよらぬ現実に繋がってしまう。そこに登場するのはエリの兄貴を自称した彼女の婚約者であり、彼らが何気なくついてしまった軽い嘘が、やがて時限爆弾のように大きくなっていくのである。ちょっとしたボタンのかけ違いが、やがて収拾のつかない事件を巻き起こすというあまりにも秀逸な脚本の妙がそこにある。

 婚約している事実をエリが開示してここへ来たのか?それとも秘密にしてここへ来たのか?の問いかけはイスラム人婚約者の度量の狭さでは判断出来ないイスラム社会の婚姻制度に対する厳格な視点が横たわっている。イスラム社会において「不貞」がどれ程罪の重い事態であるかを想像し、考えなければ、この映画をしっかりと理解することは出来ない。エリの持っていたあのカラフルなルイヴィトンのバッグも、婚約者がいながらドイツから出て来たバツイチの男性に対し、素性を隠してヴァカンスに参加したことも、エリにとっては女性としてよりよく生きるための欲望でしかない。欧米人と同じように女性としての自立を目指す彼女の精一杯の抵抗に違いない。そしてエリのそういう抵抗をセビデーも後押ししながら、彼女の判断は最悪な結果となって、彼女と周りの人間の元にブーメランのように跳ね返ってくる。アスガー・ファルハディは我々が気づかなかったミニマムな物語構造の中に、イランの現状やイスラムの女性の悲劇を巧妙に忍ばせる。
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