レオピン

K-19のレオピンのレビュー・感想・評価

K-19(2002年製作の映画)
3.6
またしても冷戦たけなわの映画を観てしまった。ソ連の原子力潜水艦「K-19」が1961年7月に起こした事故。一年後にはキューバ危機という米ソが一番バッチバチの頃。ここにも未然に戦争を防いだ英雄たちのドラマがあった。堺雅人化したピーター・サースガードに打ち震えた。

学校を出たばかりの新任の原子炉担当者ヴァディム。前に観た時はなっさけない印象しかなかったが、よく観たら彼は艦の中で誰よりも放射能の性質を熟知している専門家だった。あんな場面で怖気づいてしまうのは当然だ。

前半部は潜水艦モノとして定番とも言える描写が続いた。乗員に目的を告げぬまま出発する艦。出航と同時に激しい訓練を重ねる新任の艦長。そして副艦長を絶対的に信頼している古参士官たちとの感情的対立。クーデター未遂など。狭い艦内での男たちの嫉妬合戦が見もの。『深く静かに潜航せよ』でのランカスターとニーソンを重ねて観るのも面白い。

ただハリソンの艦長のキャラがイマイチよく分からなかった。父親が収容所送りになっており党に負い目を感じている人物であることは分かるが、乗員たちに影響を与えるほどのカリスマ的人物にも思えんかった。

後半は原子炉の異常から起こる事故対応。ペラペラのレインコート1枚渡されて作業にあたった乗組員。たった一人で修復作業に挑み、視力を失いながらも恋人カーチャの写真を握りしめていたヴァディム。

振り返れば、公開のほんの少し前の1999年に国内で起きた原子力災害として東海村のJCO臨界事故がある。この映画を観た時もJCOのこともうっすらとしか思い出せずよく知らなかった。嘔吐や顔面のただれもただのホラー描写だと思っていたが実際そうではなかった。あの原子炉区域の青白く照らされた光が心胆寒からしめるものであると気づいたのは後のことだった。その後も原子力事故は2004年の美浜原発の蒸気噴出事故、そして311福島第一原発事故と続いた。
この作品を隠れたカルトホラーだと言って笑っていられたのはただの無知ゆえだった。映画は現実を超える。ただの映画などない。

終盤、誰よりも任務に祖国に忠実にふるまった男が初めてモスクワの指令を無視する。裁判では党から亡命を疑われ最重要警戒人物とされる。やはり家族の問題なのか。彼の弁護の為に熱弁をふるう副艦長。
彼らの勇気を讃えるあのエピローグがまた泣かせる。国のためでも党のためでもない。ただ海軍のために、仲間のためにと言って任務にあたった。その国家が大きく揺らぎ今にも消えてしまいそうな時代に彼らは軍服をまとい墓地に集う。

ニーソンが演じた副艦長のヴァシーリイ・アルヒーポフは、翌年のキューバ危機においてかなり重要な役割を果たした人物だった。海上封鎖でアメリカ軍が潜水艦に爆雷を投下しかけたあの時、その真下の潜水艦にいたのが彼だった。三人の士官の全会一致でなければ発射は出来ないルールであったが、通信がとれず既に米ソは開戦したとの判断に傾きかけたが彼のみが反撃に反対した為に結局浮上した。結果何事もなく帰投できた。
後から振り返って最も緊迫した瞬間だったとマクナマラも述べていた。その判断は本国と連絡がとれぬまま海中でこれ以上ない過酷な状況におかれた前年のことがあったからに違いない。最も厳しい体験をしたものは好戦的にはならない。いやなれないんだ。

彼は1998年に死去。そしてその9日後に艦長だったニコライ・ザテエフも死去。二人とも72歳だった。

個人的に一番感動したのは、潜航を命じる艦長の命令に各区画からの応答が次々帰ってくる場面。あれはダメだ。

航海の中の束の間の休息、北極海の氷の上でサッカーに興じ若者らしい笑顔を見せていたクルーたち。世界を救ったというのは何も大袈裟ではない。ヴァディムはじめ困難な作業にあたった士官たちに敬礼!


⇒編集:ウォルター・マーチ

⇒2006年、存命のクルーたちはザテエフ艦長と共同でノーベル平和賞に推薦された。
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