改名した三島こねこ

プレステージの改名した三島こねこのレビュー・感想・評価

プレステージ(2006年製作の映画)
2.7
<概説>

かつて女が水槽で死んだ。そして此度も男が水槽で死んだ。ふたつの死を巡るふたりのマジシャンの因縁を、天才クリストファー・ノーランが魅せる。

<感想>

辛口評価どころの話ではないのでご容赦を。

どうしちゃったんだクリストファー ・ノーランと、個人的に彼の作品としては認めがたいですね。彼の作品の魅力は地に足のついたキャラクター達というのが一番だったのですが、今回はW主人公のどちらもが薄っぺらいというか。

主人公が好感が持てないキャラクターというのは別にいいんです。ただ『メメント』のレナードしかり、『ダークナイト』のジョーカーしかり、好感は持てずとも魅力を感じるキャラを描けるところにノーラン監督の非凡でないものを感じていたのですね。
彼等の狂気は論理と合理で武装されていて、正気をも正攻法で汚染してきました。非合法であっても一分の理どころか、ちょっと見方を転換しただけで納得させられてしまいそうな狂気。それがよかった。

だのに本作のボーデンとアンジャーの狂気は熱だけで、その行動と論理に説得されうる理をあまり感じられなかったのです。特にボーデンは認められない。
そもそも物語の起点からして転倒しやすい。あそこでボーデンがもっと自身の失策に向き合って、そしてアンジャーに向き合っていたのなら。それがなされてこそのキャラクターの魅力であるのに、それを為さず、為さなかったことから物語を進めている。ボーデンのキャラクターの格が奇術の追求にあるのなら、向き合ってこそ奇術への真摯さが感じられたでしょうに。彼の悔恨はどこまでも表面的なのが、ついぞ結び目を思い出せなかったことによく出ています。

一方でアンジャーに関しての物語も納得いかないのです。さもアンジャーが悪役のように描かれていますが、彼の周囲の人間は彼が懊悩している時に救いの手を差し伸べず、彼に報復され懊悩する時には彼からの救いの手を求める。これっておかしいと思いませんか。それをアンジャーの娘という、観衆の同情を安易に集められるアイコンでごまかしているのも、本当にどうしたクリストファー ・ノーラン。

作中のとある奇術は本当に"偉業(Prestige)"で驚嘆しました。最後まで色々と裏切られた作品です。