湯林檎

時計じかけのオレンジの湯林檎のレビュー・感想・評価

時計じかけのオレンジ(1971年製作の映画)
3.8
この映画、そして原作小説も高校生の頃から存在は知っていた。だけどとてつもなく狂った映画だということは多くの人から聞いていたので中々手を出すことはできなかった。
そして、これまで様々なジャンルの映画を観てきたことなのでとうとうこの作品を観る時が来たと思い鑑賞した。

本来なら下劣な言動が芸術的に美しく見えたり、笑ってはいけないシーンで笑いが溢れてしまったりと不道徳なのに面白いという危険なドラックのような映画だった。
室内のインテリアやファッション、主人公アレックス達が話すナッドサット言葉全てが1971年公開の映画とは思えない程近未来的。それにしてもアレックスのママのファッションが原宿系みたいなファッションとメイクをしていたのは色んな意味で強烈だったがw

⚠️ここから先はネタバレを含むので未鑑賞の人は注意してください。


映画前半でアレックスは3人の仲間を引き連れて非行を行う不良少年だったがルドヴィコ療法を受けて善良な人間となる。ある意味中毒症状が治ったとも言えるのだろうか。そしてかつてのドルーグ達は見切りをつけて警察官になった。でもドルーグ達はかつて仲間だったアレックスに酷い仕打ちをする。結局アレックスは家族にも見捨てられて一人ぼっち。因果応報といえばそうかもしれないが警察官になった元ドルーグ達も警察官になったとしても元の本質は暴力を好む人間性だったとも思えた。
そしてこの映画ではなにかとアレックスの心情の変化のきっかけとなるのがベートーヴェンの「交響曲第9番」。ルドヴィコ療法を受けたことによって拒絶反応を起こすもののラストシーンで大怪我を負ってお見舞いの際に流れた時に彼はドルーグだった頃の自分に戻る。ある意味ベートーヴェンの複雑な人間性とそれに伴う音楽性がアレックスの心に響いたのだろうか。その気持ちは分かるけどw

映画全体を通して犯罪という行為は間違いなく悪い事だけど暴力(凶暴性)やセックスを排除して清廉潔白に生きるということも実は人間味を無くしてしまうことでもあるという風に思えた。
音楽を含む芸術も言ってしまえば映画やドラマも存在しなくても生きていくことはできる。だけど人間が人間らしく生きるには高尚な考えと同時に俗的な存在も必要だとも解釈できた。

何もかもが強烈で映画の全てを理解しきれたとは思えてないけど観れて良かったと思える作品だった。
湯林檎

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