みかんぼうや

市民ケーンのみかんぼうやのレビュー・感想・評価

市民ケーン(1941年製作の映画)
3.5
【“世界映画史上ベストワン”という高すぎるハードルで期待値が上がり過ぎたが、分かりやすい栄華を極めし者の失墜劇は十分に見応えあり】

先日観た「俺たちに明日はない」からアメリカン・フィルム・インスティチュート(AFI)のベスト100作品が気になり調べていたところ、2回発表されたランキングの1位がともに本作!その他にも様々な映画ランキングで1位に輝き「世界映画史上のベストワン」と評されることも多い作品。もちろん名前は知っている超有名作ですが、ちゃんと観たことが無く、ここ数か月でフォローしているレビュアーさん何名かのレビューで気になり、ようやくの初視聴!

正直、“ベスト100の不動の1位”というとんでもなく高いハードルが視聴前に設定されているので、そこから入ってしまうと「そこまでか?」という感覚は拭いきれません。でも、確かに面白くて、個人的には好きな作品でした。

そもそもこういうランキング物って、得てして「なんでこの作品、こんなに上位なの?」とか「あの作品は入っていないの?」のオンパレードですよね。でも、映画も含め芸術は個人の感性や嗜好で相当評価変わりますから、ランキングは“参考程度”にしつつ、結局は自分が好きかどうかの話。これはフィルマのスコアも一緒ですね(★4.2でも全然ハマらない作品もあれば、★3.6でも大好きな作品もありますし)。

前置きが長くなりましたが、本作はローアングルや長回しやパンフォーカスなど、当時としては画期的な映画撮影技法が用いられたことでも映画としての高い評価を得たようですが(Wikipedia参照)、この点については、先日観た「俺たちに明日はない」と同様、今観ると、はっきり言って“普通に見慣れた当たり前”の映像演出なので、それ自体に衝撃を受けることはあまりないです。が、これらを“当たり前の手法”にしたことは、映画史の中における本作の紛れもない功績の一つなのでしょう(私は詳しい映画史や技術的なことに関する知識は全くないですが)。

個人的にはそういった映像技法云々よりも、ストーリーが単純に面白かったです。自分が大好きな栄華を極めたものが堕ちていくパターンの作品ということもあり(我ながら本当にネクラですな!)、新聞王ケーンが天下を取る前半はともかく、そこから孤独の沼に堕ちゆく姿は、悲壮感というよりも狂気性を感じました。

このあたりは脚本と演出の巧さなのでしょうか。作中でも言われているように、一見弱い市民の味方のように見えて、実は「ひとりよがりで、愛を押し付けながらその見返りを求める男」であるというこのケーンという男の自己中心性が、その態度や台詞から非常によく伝わってきました。

私が思うに、彼は幼少期の経験から物凄く強いコンプレックスがあり、自分に自信がないからこそ、“自分のために”自分より弱い立場の人間の役に立とうとし自らの評価を高め、自己の存在の自信や優位性を保とうとしていたのではないでしょうか。いわゆる承認欲求が極端に強いタイプ。新聞王になるまでは、それが原動力になって良かったのかもしれません。が、それ以降は、特に家族や部下という最も身近な存在には、そういった“結局は自分中心主義”であることを見透かされてしまい、周りの人々もあのような態度や行動をとっていったのでしょう。

ある意味ベタで分かりやすい人生教訓ですが、各関係者の証言と“バラのつぼみ”というケーンの遺言の謎を頼りに巧みに見せていくことで、映画としては先が読みづらく、かつ飽きさせない作品として楽しむことができました。 ただ、やはり“世界映画史上ベストワン”のタイトルが無ければ、期待値も上がり過ぎずもっとストレートに楽しめたのかな、とも思う作品でした。
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