Sari

イディオッツのSariのネタバレレビュー・内容・結末

イディオッツ(1998年製作の映画)
3.5

このレビューはネタバレを含みます

ラース・フォン・トリアー監督による『黄金の心』三部作の一つで、『奇跡の海』と『ダンサー・イン・ザ・ダーク』の中間に撮られた問題作。

「ドグマ95」の2番目の作品として発表された。

デンマークのコペンハーゲンでラース・フォン・トリアーが主唱した映画運動「ドグマ95」とは、映画誕生から100年となる1995年、昨今の大作主義や、既成の見え透いた物語展開へのアンチテーゼとして立ち上げられた。
35ミリの手持ちカメラによるロケ撮影、人工的な照明や音楽の後付けも一切禁止とするなど、10項目からなる決まりが設けられた映画監督集団による実験プロジェクト。

(ドグマ95から発表された作品は、トマス・ヴィンターベア監督『セレブレーション』(98)、ソーレン・クラーク=ヤコブセン監督『ミフネ』(98)、ハーモニー・コリン監督『ジュリアン』(99)などがある。)

豊かな人々が楽しむレストランに場違いな席が二つある。
知的障害者たちと、たった独りのカレン。
食事代を踏み倒そうと、健常者が知的障害を装っていたのである。そのような方法で社会の偽善を暴くグループ【イデオッツ】が占拠する屋敷に思いがけずカレンは同居を始める。グループのメンバーが、奇行・愚行の体験を重ねるうち、彼ら自身が騙された人々以上に傷ついてゆくといったフィクショナルな物語が見えてくる。グループはやがて崩壊…。

画質の荒い35ミリの映像と手ブレのカメラがホームビデオのようで、『奇跡の海』の次作というのも納得。
擬似ドキュメンタリーというべきか、モキュメンタリーに近い手法が取られている。
メンバーに一人ずつカメラを向けて、グループ在籍時を回想し語らせるインタビューや、無名俳優たちの白痴演技に気がつけば見入ってしまう。悪趣味だが、映画としては面白い。

カレンが、「愚者を演じることで自分自身を正当化できる」と語る。
何かに苦しみ、苛まれてるような彼女に何があったか語られないが、最後に亡くなった息子の葬儀から逃亡したまま家出をした女性であることや、家族との間の埋めがたい溝が明らかとなる。家族の前でカレンが愚者を演じたラストをどう解釈すべきか、果たして黄金の心とは…。

本物の知的障害者とグループの人間が対面するシーンを始め殆どのシーンが即興で撮られており、撮影はプロセスを重視していたとのこと。また乱交シーンは(一部ポルノ俳優を代役に立てているが)出演者たちが実際に行ったものだそうで、その点も含め、公開時は大きな論議を巻き起こしたという。
監督が自ら手にしたカメラを前に、俳優にこのような演技以上の行いをさせてしまう力がトリアー監督にあったのだろうと思える。
そのような所にパゾリーニの影響を感じる。

トリアー監督の過激で挑発的な姿勢を支持する。同じ過激な表現といえば、原一男監督の長編デビュー作であるドキュメンタリー『さようならCP』の方が衝撃度で言えば上回る。

2022/10/30 DVD
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