ヤンデル

暗殺の森のヤンデルのレビュー・感想・評価

暗殺の森(1970年製作の映画)
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・原題のIl conformistaは「体制順応者」つまり、長いものに巻かれる者、といった意味。

・ストーリーは現在と過去を行ったり来たりして語られるので複雑だが、順を追うと下のような経緯になる。
①マルチェッロは幼いころ女の子のような容姿だったので、周囲の子供にからかわれていた。
②そんな中、小児趣味の憲兵リーノに接近され、殺すという事件を起こしてしまい、自らも同性愛者かもしれないというトラウマを負ってしまう。
③大人になったマルチェッロは自分が同性愛者かもしれないという不安を払拭するため、普通・正常を求めて結婚し、当時の体制だったファシズムに傾倒してしまう。
④組織から反ファシズムのクアドリ教授を暗殺するよう指令を受け、新婚旅行と称してパリに行き、教授に近づくが、教授の妻であるアンナに魅了されてしまう。
⑤教授が一人で移動するタイミングを知ったマルチェッロは暗殺部隊にそれを伝え、妻アンナが同行しないことを確認する。
⑥しかし、暗殺当日アンナが教授に同行したことを知り、マルチェッロは二人のあとを追う。
⑦教授は暗殺部隊の待ち伏せに会い、殺される。アンナは逃げ、尾行していたマルチェッロに助けを求めるが、マルチェッロは彼女を助けず、結局殺されてしまった。
⑧数年後、ムッソリーニが退陣し、ファシズムそのものが瓦解してしまう。
⑨マルチェッロは幼少期に殺したと思っていたリーノが生きていたことを知る。ファシズム体制も崩壊し、そもそもの動機であったトラウマのきっかけさえも事実ではなかったことがわかり、マルチェッロはアイデンティティーを失ってしまう。

・劇中にマルチェッロの過去の論文としてプラトンの洞窟の話が出てくる。洞窟の中で壁の方向しか見られない人に対して、焚き火で多くの木の人形の影を写し出すと、その人は大勢の人がいるように見える。しかし、振り向きさえすれば自分一人だということがわかる。これは、大衆的に見えたものが少し視点を変えれば個人の問題だと気づくかもしれない例えとも捉えられる。そのため、ラストカットは焚き火を背後にして振り返るマルチェッロの姿になっている。

・体制、ファシズムに傾倒するイタリア人と自由奔放なフランス人との対比が描かれるが、その一つとして建物が対比されている。前半でマルチェッロが行き来するファシズム組織の建物は無機質で幾何学的に印象づけられるが、フランスに移動してからの建物は植物の模様があしらわれていたりと自然主義的になっている。

・幼少期に女の子のような要望でいじめられたマルチェッロは憲兵のリーノに欲しいものを聞かれて銃を欲しがる。銃は男性性の象徴と考えられ、「普通の男になりたい」という願望が見てとれる。

・マルチェッロがアンナを見殺しにした後、マンガニェッロは「卑怯な奴と仕事をするのは嫌だ」と言って立小便をしながら同性愛者などをなじる。つまり、マンガニェッロは組織の人間でありながら、マルチェッロが自分の愛情を尊重してアンナを助けることを期待していた。この立小便も男性性の象徴と言える。

・妻同士のダンスシーンに他の客が注目するシーンがあるが、これは他の客が男女の組で踊っているのに対し、女性同士で踊っているため、マルチェッロはその前にアンナが妻に性的な行為をしているのを目撃しているため、教授に「やめさせましょうか」というが、教授は「美しいからいいじゃないか」と言う。これも性に奔放なフランス人と全体主義的になってしまったイタリア人の対比となっている。
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