Gan

暗殺の森のGanのレビュー・感想・評価

暗殺の森(1970年製作の映画)
4.3
脂肪を削ぎ落とした傑作であることに間違いは無いが、それゆえに一瞬の画面的説明が多く、気を抜くと置いていかれてしまう。何度も巻き戻しながら観たため大枠は何となく理解できたものの、結果的に3時間を要した。ただし細部の趣向に意識を向ける暇がない。
それほどに難解で、あらゆる要素が端的に凝縮されている。純文学的なノリも、おそらく読解の壁になっている。


【キャラクター面】
コメディタッチなマンガニエロ、妖艶でセクシーなアンナ、フェミニンでコケティッシュなジュリア、盲目のファシストであるイタロ、哲学とファシズムという矛盾を抱える主人公・マルチェッロ。
アンナとジュリアの美貌を観るだけでも価値あり。特に、下着をつけずに踊り狂う2人のダンスシーンは白眉。
賢く気高いが娼婦であった過去をもつ、鬱々としたアンナと、無知蒙昧だが可愛気と実家の太さによる勝利で悠々と過ごす、幸せ全開のジュリアの対比が記憶に残る。
あと、マルチェッロもクアドリ教授も難しい顔しすぎ。哲学の有毒性を知る。
特にマルチェッロについては、癇癪持ちで精神病棟に入院している父、堕落とモルヒネによる白痴に塗れた母がおり、こんなもんマトモに育つわけないわな、と苦笑してしまった。そら哲学と真理を欲してまうか。ほんでようこんなバックグラウンドボロボロの男と結婚したな、ジュリア。顧みない若さの暴走、アホすぎる。


【物語面】
マルチェッロは哲学でも大成せず(クアドリ教授が去ったことを言い訳にしているが、それでも1人で究めろよ)、また、リーノを殺した罪の意識から何となくアジテートされたファシズムに傾倒した素振りを見せる。突き詰めれば、中途半端な根無し草の男ともとれる。
しかしそのキャクター性が終盤、暗殺の森にてアンナを前に葛藤を生み出し、最終盤のリーノとイタロへの雄叫びとして昇華され、カタルシスをもって終劇する。
彼は「人を殺めた罪の意識」から解放された訳だが、とりもなおさずそれはファシストになった意味、アンナを殺した意味をはじめ、彼の根幹を覆したことになる。またもや、雁字搦めの人生に巻き戻しである。
対外的なメンツを意識しすぎた男の、悲しい末路。まさしく、彼の「血を拭うのは血」という発言が身をもって体現された瞬間。皮肉。


【演出/映像面】
圧倒されるほどの映像美と、物語の過去/現在の二重構造を生かしたシーンの切替、その他「どこやねんこの半端ないロケーション」とツッコみたくなるほど計算され尽くした完璧な場面設定 (特に精神病棟が良かった) と、時間設定 (キタノブルーみたいな早朝の青い空気感、太陽の使い方、列車での夕景~夜景、暗殺の森での朝日、深夜の緊張感など)。
正直、この難解なストーリーについていこうと思えたのは、これらの本気が伝わる画作りがあったからである。
また、冒頭/終盤などで効果的につかわれる光の明滅 (画面ごとブラックアウトするのが斬新)、
何度も刺されるクアドリ教授のリアルさ/緊迫感、教授の部屋でプラトンの洞窟の比喩を語った時の画面の陰影、「私は決して間違えない」と言いつつ靴がテレコになっていたイタロ、告解での一連、中華料理屋でのそれぞれの性格が出る一幕、厨房でマルチェッロを激励するマンガニエロ、ラストでこちら (視聴者ともとれる) を赤い光のなか睨み続けるマルチェッロ、ムッソリーニ失脚に狂喜乱舞する大衆に巻き込まれるイタロ (大衆=時代の流れ/多数派、こんな風に盲目なネオナチ等の少数過激派は紛れているという、皮肉の効いたメタファーにもとれる)、暗殺の森における手ブレだらけの追っかけ映像 (静謐なカメラワークが多用される中、より際立って注目せしめる) など、印象に残るシーンは数え切れず。ふと思い出しそう。


【総評】
映像のキレの良さ、シンプルなストーリーラインをこれほど複雑で難解に見せる手腕。
特にラスト、クアドリ教授と話したプラトンの洞窟の比喩が、完全に現実のものとなる場面は見事。薄暗い洞窟のような路地裏で、燃え盛る炎の中、真実を見定めんとマルチェッロが「洞窟の囚人」の如く、こちらを睨むのである。これは震えた。だから映画はやめられない、とさえ思えた。物語面とメタ的な視点、両方から必要十分な条件を満たす場面というのは、つくり手の理想だろう。
これほど重厚なのに後味が爽快なのは、もはや創作論では解明できないと思う。理論ガチガチなのに、サラッと雰囲気で突破するシーンも多数あり、お互いを侵さないその塩梅に監督の底知れぬセンスを感じる。
欠陥のある異常者が正常な人間を志す。
映像のみで全てを語ってやるという、パンク精神と気概に溢れた傑作。
哲学を学ぶ者は肥大化したエゴと自意識に首を絞められ続けると言うが、これほどクリティカルに再現した作品は他にあるのか。

思い返すほどに、記憶の中でウェルメイドになっていく。「さらば、わが愛/覇王別姫」にも似た手応え。いずれ全てを解明したい。今のところ、ベルナルド・ベルトルッチ作品の中では、ラストエンペラーの次に好き。
自分の人生からの脱走兵。
50余年前に、もう映画は完成していた。

「なんとか私の正常さを作り上げたい。罪は悔いた。許しは社会から受けたい」
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