真田ピロシキ

お茶漬の味の真田ピロシキのレビュー・感想・評価

お茶漬の味(1952年製作の映画)
3.5
天下の小津安二郎に不遜な思いを述べるより美辞麗句を並べ立ててお茶を濁そうかと考えましたがやっぱり自分に嘘はつきません。

価値観の隔たりをなあなあで乗り切っていたお見合い結婚の中年夫婦がお互いを見つめ直す筋書きであるがイマイチ腑に落ちない。お嬢様育ちで我の強い妙子は子供っぽくて、鈍感さんと陰口叩かれて嘘つかれているのを知っていながら夫婦生活を保つために知らないふりしている茂吉の方は立派な大人に見える。妙子らが戦後の女性らしく奔放にやっていても結局夫が正しいように見えては封建的。これがしおらしくなったように見えて夫を満足させるために演技をしていたなら違う印象だったのだけれど、本心から変わってしまった模様で妙子には失望。と言いたいところだが、自分の立場からすると苦労知らずのブルジョア女には品の良さを感じ取れても好感を覚えるのはどのみち難しかった。散々不満を述べながらも夫婦をやめる気はサラサラなかった妙子に対して、「嫌なものは嫌よ」とお見合いから逃げ出した姪の節子は同じように子供っぽいながらも筋が通っている。しかしこの人も丸め込まれるのだろうなあ。『東京物語』では家族であるために周囲に合わせざるを得ない諦観に味を感じたが、こっちは好きになれなかった。辻褄が合ってないとは思う。

価値観は合わず、話は浮気や死別のような大きさのない、山場のウルグアイ行きも単身赴任などではなく出張にしか過ぎない話でありながら退屈しなかったのは映画の格を見せつける。他にも借りているので小津安二郎が好みに合うかは評価保留。本作では15年ほど前にリリー・フランキーが日本映画エッセイで小津シンパのヴィム・ヴェンダースをお高く止まりやがってみたいな感じで皮肉ってたのが思い出された。今はもうリリーさんが大者側だ。そういう権威への反逆心は若さの特権。ガンガンやって欲しいね。