真田ピロシキ

星くずの片隅での真田ピロシキのレビュー・感想・評価

星くずの片隅で(2022年製作の映画)
3.8
美しい人の優しさに満ちた正しい物語である。コロナ禍の香港。経済は冷え込み町は静まり返っている。そんな中で零細清掃会社を経営するザクは厳しい資金繰りと体力面の限界から求人をかけると若いシングルマザーのキャンディがやってくる。キャンディは切羽詰まっているので真面目には働くが品行方正ではなく盗みだってやる。コンビニでアイスを万引きしたり。それを偶然目撃したザクはその時は見過ごすも、仕事先で当時品薄のマスクを持って行かれたら庇ってはやるものの一度はクビを言い渡す。この時点で世間の聖人君子皆々様はこう思うかもしれない。マスクはともかくアイスは不要だろ。こんな犯罪者バカ女に同情不要と。でもさあ、そんな小さな悪事さえ個々の事情を全く考えず罰したがる方々が果たして必要なマスクのことには理解を示してくださるんですかね。ザクという人はその点で深く考えられる人で、金持ちの子供が使えるマスクを道端に捨ててるのを見てクビを撤回してチャンスを与える。ザクは洗剤が不足している中で安いのに誤魔化しても分からないと言われても「俺には分かる」と言ってバカ正直を貫く人で、それを受けてキャンディは正直に正直で報いることを覚え、ある時落とし物の時計を見つけても娘のジューに促されて報告するようになったり世界が少し正しく明るくなる。罰と締め付けはバレないよう狡猾に立ち回ろうとする人を増やすだけで世界は良くならない。

そんな上手く行ってた日々もザクの母が死んでキャンディ1人で仕事を受け持っていた時に手伝っていたジューが洗剤を溢してしまい止むに止まれず不正を行った結果、監査が入り会社は倒産。事情を言えないキャンディ親娘との縁も敢えなく終了。このことに対する罰はそりゃ仕方ないと思うよ。だけど我が日本を思うとあからさまな裏金という賄賂をせしめている自民党のクズどもはなあなあで済ませられようとしてるのに、一般人とりわけ貧乏人の不正にはコンビニコーヒーを多く入れることすら寄ってたかって責め立てられててどう考えても辻褄が合わない。それが前段でも書いた万引きとも繋がってて弱者にだけ不寛容な社会のペテンに思いを寄せられる本作は単なる感動ヒューマンドラマではない。

物語は罪を被った上にキャンディが人生をやり直すためのお金まで出したザクの姿で良い話として着地するものの、これって結局は自助と共助でキャンディ親娘に対する公助は描かれず終いだった。公助が見事に抜け落ちておりザクが「俺たちは塵以下で神様は全く気にかけていない」と言ってたのは香港および中国政府への皮肉かね。お金がある人は次々に移民しており、ジューが「私たちには英語名がないから移民できないの?」と言ってたのも含めて政治に対して語れるところと語れないところがあるのかなあと。社会的弱者を真摯に描いた秀作と思うがどこか冷めた気持ちを抱いているのは、どうせ映画ファンなんて奴等の多くはいくら正義や平等や優しさを見せられようと"感動"として消費するだけで実生活には何にもならないことを知ってるからだ。こんな映画を見ても平気でイーロンマスクの肥溜めSNSで映画館のバリアフリーを訴えた車椅子の人を我儘クレーマーとバッシングするんでしょ?映画なんていくら見ても何にもならない。低俗幼稚マンガアニメゲームトクサツと変わりない。映画を見るという行為にも最近は虚しさを覚えるばかり。この映画、印象的で素敵な映像が結構あったんだけどね。狭い廊下の先にジューを捉えたカットとか、画角の狭い部屋の上から親子を映したのとかね。良い映画なんだよ、うん…