みかんぼうや

かぞくのくにのみかんぼうやのレビュー・感想・評価

かぞくのくに(2012年製作の映画)
4.3
【北朝鮮の“帰国事業”がとある若者にもたらした抑圧と思考停止の“絶対的理不尽”な世界。思うこと、表現することの自由とは何かを考えさせられる骨太社会派作品】

在日韓国人をテーマにした映画は「GO!」や「パッチギ」で多少馴染みがあるが、思えば在日朝鮮人を扱った映画は初めて。100分弱と短い映画なのに、非常に中身の濃い、素晴らしい社会派映画だった。・・・が、フィルマでの評価が思った以上に低い!なぜ!?この淡々と進むドキュメンタリーテイストの作風のせいなのか、それともこの内容に対する嫌悪感か。好き嫌いが出る作品かもしれないが、映画としてはとてもよくできていると思ったので、他の作品などの評価を考えると、もっと高い平均スコアがついていると思っていただけに、結構驚いた。

本作は、在日朝鮮人の家族にスポットライトをあて、 “帰国事業”と呼ばれる在日朝鮮人の集団的な北朝鮮への永住帰国の一貫で16歳の時に北朝鮮に移り住んだ長男のソンホが、病気治療で26年ぶりに短期間だけ日本に一時帰国をする、その数日間を描いた話。あまり映画で見てこなかったテーマだけにその設定だけでも大変新鮮で興味を引かれるうえに、本作は在日朝鮮人である監督の実体験をもとにした話であることから、話の内容も映像も非常にリアルで生々しい。映画的な展開も多少はあるが全くわざとらしくなく、在日朝鮮人の一つの家族の数日に密着したような見せ方や、手ブレが目立つカメラワークも含めてドキュメンタリー感が強い。

ソンホが16歳の渡航当時は、在日朝鮮人にとって北朝鮮は“地上の楽園”とされ、家も仕事もあり何の生活の心配もいらないと信じ渡航した在日朝鮮人も大変多かったようだ。しかし、待っていた現実は全くの別世界。そこは、劇中でソンホが語るように「考えずにただ従う」「思考を停止させる」ことが必要な祖国への絶対服従が強いられる世界であり、友人たちにも慕われていた心優しいソンホ少年は、26年の北朝鮮での生活を経て、自分の思いや感情を押し殺し多くを語らない人間に変わってしまった。いや、そこで生き抜くために自らを変えるしかなかったのだ。

本作を観て考えるべきは、一つは当然メインテーマである北朝鮮の帰国事業や在日朝鮮人の方々が歩まれてきた歴史への理解なのだが、もう一つ強く感じるのは、やはり我々日本人は、普段当たり前と思っている言論や行動、そして思考することの自由が守られているという有難みでありその幸福性であろうか。日々の生活の中で、仕事で、家庭で、社会の中で、「言いたいことも言えない」「やりたいこともできない」「理不尽なことばかり」と思うことは我々誰しにもあるだろう。しかし、今の環境が合わなければ、また何かを犠牲にする大きな制限があるのであれば、少なくとも自ら思考し、行動し、発言し環境を変えるチャンスはそこに存在する(それが結果的にプラスの結果をもたらすかは別として)。しかし、ソンホが生きてきた楽園と呼ばれた世界では、それすらも認められない。なぜなら、自ら思考し、何か行動を起こすことによって、結果的に人生の終焉(つまり“死”)を迎える可能性すらあるからだ。

ソンホは日本帰国中も、ずっと北朝鮮の監視を受けている。これは一見映画的な大げさな話に見えて、実は全くそうではなく、私が海外で出会ったある北朝鮮の方も常に監視をされていて、自分の考えや意思を全く表に出すことはなかった。そんな実体験に加えて、井浦新、安藤サクラといった主演陣の迫真の演技(この二人は本当にどの作品を観ても演技が素晴らしいです)により、ソンホや彼の家族たちが直面する北朝鮮一時帰国者が受ける“絶対的理不尽”に抵抗する術すらない苦しみがスクリーンからヒシヒシと伝わってくる。

その苦しみを見て、「自分たちは自由なのだ」と比較して感じることには、当時の人々のことを考えると、違和感とある種の自分への嫌悪感を感じつつも、少なくとも私が時折感じる日常のちょっとした閉そく感など、彼らに比べたら大したことはなく、私は自らの意志でチャンスを捕まえることができる環境に身を置いているのだと再認識させられ、自由に行動できる毎日をもっと大切にしよう、と前向きな気持ちを持ってしまったのも事実。

ただ、ここまで書いて、敢えて一つだけ自分に言い聞かせておきたい。この作品で語られていることが北朝鮮という国やそこに住む人々の全てではなく、いやむしろ一部分であり、そこで幸せな生活を過ごしている人々もきっとたくさんいるであろうことを。

歴史を学ぶには終わらない、自分の人生を生きるとはどういうことか、についても考えさせられるかなりの良作でした。
みかんぼうや

みかんぼうや