広島カップ

野良犬の広島カップのレビュー・感想・評価

野良犬(1949年製作の映画)
5.0
"Dog Day Afternoon"
というのは『狼たちの午後』(1975)の原題だが、この意味は犬が舌を出してハッハッハッハッとやっている暑い日の午後の事を指すらしい。オープニングタイトルバックにいきなりそうした犬が出て来て本作の雰囲気を暗示している。1949年のひどく暑い夏の東京が舞台。

バスの中で拳銃をスられた若い刑事(三船敏郎)がベテラン刑事(志村喬)と組んで犯人を追う邦画バディ物の傑作。二人とも絶えずハンカチで顔や首元の汗を拭いながら犯人を追跡する。

戦後四年経った夏の東京ってこんなだったんだという事がよく分かる。まだ道路は舗装されていなくて砂埃を立てているし、隅田川にはまだ渡し船があったし、真っ白なイデタチで団扇をパタパタやっている人々で埋め尽くされていたのは後楽園球場。行われていた試合は真夏のデーゲーム、ジャイアンツ対ホークス。日本のプロ野球が2リーグ制になったのが翌年1950年からなので本作は1リーグ制最後の年だったのがわかる。打撃の神様川上哲治の打撃フォームや一塁守備でのグラブ捌きも見ることができる。昔千葉ロッテにシコースキーという投手がいたが、彼と同じく投げる前にグルグル肩を回していた投手の背番号は21だけど川崎徳次か?、当時はチャンと7回に観客はセブンイニングスストレッチをしていたのだ!などなど新しい発見が野球ファンとしては多いと思う。
引き揚げてきた軍人が彷徨う闇市の風景は『ゴジラ−1.0』のような作り物では足元にも及ばない景色。実際に上野の闇市でロケをしたそうだが、戦後の東京の街並みが実物感を伴っていて実に興味深い。私が知っている今の上野の景色がどこかにありはしないかと目を凝らして観ていたがそこは残念だった。
コルトをスられた若い刑事(三船敏郎)に一日中追い回されたスリの女、夜も遅くなってとうとう観念し夜空を見上げながら言うセリフ「全く今日って日はなんて日だ※。ほぉ綺麗だねぇ、あたしゃお星様なんて良いものがあるなんてここ二十年ばかりすっかり忘れていたよ」(女)。その頃は東京でも満天の星空を望むことができたのだ。そのシーンにはスピルバーグ作品によく見られるように流れ星が流れる。
※バイキング小峠のギャグはココから?

セリフの中の言葉選びがコチラの心にいちいち刺さって来る。聞いた事はあるけど初めて聞いたような洒落ている昭和前期の日本語。
スリ係の刑事(河村黎吉)とスリの女(岸輝子)のどじょう屋での会話。
「どじょうが好きなだけあってノラクラと逃げるのがうめぇな」(刑事)
「バスん中でとんだセッショウしたんじゃねえのか?」(刑事)
「ジンケンジュウリンで訴えるよ!」(女)
「ほう、オツな言葉知ってんな」(刑事)
「もっとオツな言葉も知ってるよ」(女)
「ほう、なんだい」(刑事)
「バイバイッ」(女)
バイバイは乙な言葉だったのだ。
殺生ではもう一つベテラン刑事の言う「全くセッショウなコルトさ」ってのもあった。
本作は脚本家の菊島隆三の黒澤作品デビュー作でもある。

映画デビュー作といえば千秋実。鬱陶しい長髪で扇風機を片手にかったるそうに二人の刑事の相手をする彼を見ていると思わず口元が緩んでしまう。
そう黒澤組の役者達が随所で光っている。
志村喬の登場シーンも思わず笑ってしまう。挙げた女に取り調べ室で向き合うベテラン刑事。蒸し暑い取り調べ室で両肘をデスクに付きアイスキャディにしゃぶりつきながらノラクラと尋問する姿はまるでダボハゼのように味がある。
砂埃を立てながら東京の道を走りに走る若い刑事役の三船敏郎のバイタリティ溢れる演技も見もの。復員兵を装い闇市の中を腹を空かせコケた頬で目をギラつかせながら彷徨く姿が格好いい。

いつも自然現象を巧みに利用する黒澤の手腕が本作でも健在だ。特にハイライトの激しい夕立のシーンはカメラアングルと編集が実に見事でこれぞ映画という気にさせてくれる。血なんて一滴も見せないのに人が撃たれるシーンをドキドキさせながら観せて来る。

冒頭に書いた通り全編に渡って暑い夏が舞台だがこれが今の不自然な夏の暑さと違うということが肌感覚で伝わって来る。この頃の暑さはクーラーが無くても扇風機と団扇と扇子でなんとか我慢できるし、夕方にビルの屋上に出れば風が汗を乾かしてくれる。夜になって配給のビールを縁側でやれば暑さなんか飛んで行ってしまう。
昨今夏が来るたびに凶悪な暑さに辟易している私に「嗚呼、この頃の暑さに戻りたい」と切実に思わせてくれる。
哀しいことだが本作は日本の正しい夏を見事にスクリーンに遺している作品でもある。黒澤明の自然表現は図らずも今の地球温暖化への批判になっていると感じるのは私だけだろうか。
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