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サタデー・ナイト・フィーバーのnoteのネタバレレビュー・内容・結末

4.3

このレビューはネタバレを含みます

ダンスを踊ることを生き甲斐にしているトニーは、ある夜ディスコでステファニーの素晴らしいダンスに魅了される。トニーは、彼女が街を出て、広い世界で生きるために勉強していることを知る。刺激を受けたトニーは、自らも新しい人生を始めるため、優勝賞金500ドルのダンス大会にステファニーと出場することを決意する。

子どもの頃、TV放送で見て以来の再鑑賞。
公開当時、世界中で大ヒットし、ディスコブームを巻き起こした70’sカルチャーのシンボル的作品。
当時はダンス映画として見ていたが、年齢を経た現在の目で見ると、明日を夢見る若者の立派な青春映画。
しかも、栄光と挫折と再生を描いた傑作である。

僅かな週給でペンキ店で働き、週末の夜にディスコに繰り出すのが唯一の楽しみであるトニー。
頼まれたペンキを買いに出ても靴を見たりシャツを取り置きしてもらったり、ピザを食べたり、女の子を口説いたりしてなかなか店に戻らない。
働くよりも遊ぶことに熱心な年頃の青年である。
冒頭は現在の目で見ても、胸が高鳴る。
NYの街の活気、自信満々に闊歩するトニーの色気、「ロッキー」、ブルース・リー、アル・パチーノと当時のスターのポスターに囲まれて、大物気取りでディスコへ行く身支度を整えるトニー。
いつか彼らのようなスターになりたいというトニーの欲望とエネルギーが満ち溢れている。
これから何が起こるのか?とワクワクせずにはいられない。

家では神父になった兄を人生唯一の誇りとして崇める母と、半年も失業中で苛立つ父が喧嘩ばかりしている。
食事中にどつき合う姿は昔はギャグに見えた。
今見るとDVに見えてしまうのだが、決して裕福ではない家庭と育ちの悪さに庶民としては共感が沸く。

トニーはダンスだけは誰にも負けない。
地元のディスコではキングであり、誰もが一目置いている。
若きジョン・トラボルタのダンスは今見ても輝いている。
長い手足がムチのように勢いよくしなり、時折、前後左右に差し込む腰の動きは、セックスを連想させるほどセクシーだ。

踊り明かした翌朝、抜け殻のようなトニーがむくりと起き上がり、股間に手を突っ込むシーンがある。
勢いに任せて女とヤッてないか?と確かめるのだ。
記憶を無くすほどの馬鹿騒ぎの後、急にしょぼくれた現実に引き戻される負け犬のようなトニーの青春は、アメリカン・ニューシネマの香りが充満している。
労働者階級というところで言えば、イギリスのアラン・シリトーの小説「土曜の夜と日曜の朝」を思い出す件である。

ディスコキングのプライドからトニーはダンス大会への参加を熱望しているが、馴染みのアネットではスタイルもステップも自分の思うようなダンスは表現できないと、プロ気取りで冷たくあしらう。

トニーは洗練された女性のステファニーに白羽の矢を立てる。
どんな曲でもどんなステップの注文でも華麗にこなすステファニーにトニーは惹かれるのだが、彼女はトニーを見下している。
彼女が「私とあなたは違う」という態度で接するのは、目標に向かって自分は努力しているという自負だ。
格上の人間を演出するために自分がどんな有名人と会ったかを自慢げに語るステファニー。
しかしその実は、業界関係者の不倫相手に別れを告げられて傷心を引きずる女性。
彼女の痛々しく強がる姿は、70年代がまだ男性優位社会だったことを伺わせる。
彼女もまた「夢の途中」なのである。

兄が神父を辞めて新しい人生を歩みはじめたり、仲間のボビーが恋人を妊娠させてしまい、トニーも現実の厳しさを感じ始める。
いつまでも遊んでいる訳にはいかない。
誰にでも訪れる通過点を描いていることも、本作の共感出来るポイントだ。

周囲が将来を考える中で、このままでは自分もずっとペンキ屋になっていく未来しか想像できず苛立つトニー。
昇給したって、たかだか4ドル程度だ。
先の見えない自分の将来にヤケを起こして、不良たちと喧嘩した翌日、ボロボロの身体でダンスコンテストに臨むトニー。

コンテストでは優勝するのだが、それは客のために地元の人気者を持ち上げる出来レースであり、怒りを覚えるトニー。
トニーは明らかに自分たちより上手な出場者にトロフィーと賞金を譲る。
その後、自分を慕うアネットは仲間に犯され、ボビーは橋の上から落ちて死んでしまう。
「フィーバー」とは英語で熱病という意味だが、ダンスの熱に浮かされて興奮した後の痛々しい不幸の連鎖は凄まじい。
題名はこの土曜の一夜の「狂乱」を意味しているのだろう。

井の中の蛙であった自分、自分を縛りつける悪友、自分を認めてはくれない家庭…。自分を取り巻く全てにトニーは嫌気がさす。
そんな生活を変えたい、自分も一人暮らしをして自立したい。
悪い仲間とは縁を切って志の高い人生を送りたいと願い、どうすればいいのか相談にステファニーの家を訪れる。
ステファニーも自分と同様に「夢を持った人間」トニーを改めて友人として受け容れ、新しい門出を予感させて映画は終わる。

「行き場のない青春のエネルギー」をディスコで踊ることで晴らす惰性の生活を送っていた青年トニー。
ディスコで出会った女ステファニーの生き方に心を開かれ、新しい生活へ目覚めて大人へ脱皮していくさまを描く。

若者は常にエネルギーに満ちあふれ、可能性を秘めている。
ダンスで輝きを放つトニーやステファニーに反して、路上に停めた車をラブホテル代わりに使うような赤裸々な性描写や、貧困と無知からくる無軌道な暴力も描かれているため、現代では眉を顰める者がいるかもしれない。
(それらのシーンの記憶が全く無かったのは、TV地上波ではお茶の間向けにカットしていたためだろう。)

本作は若いエネルギーを正しい方向に使うべきだと訴えている。
若者こそ見るべき映画だ。
トニーやステファニー、その他の若者たちと自分を照らし合わせ、若さの使い道を学んだ方が良い。
栄光と挫折と再生を描いた傑作。
改めて見て本当に良かった。
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