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ゴジラ対ヘドラのnoteのネタバレレビュー・内容・結末

ゴジラ対ヘドラ(1971年製作の映画)
3.5

このレビューはネタバレを含みます

海洋学者・矢野のもとに不思議な生物が持ち込まれる。ヘドロの海で採れたその生物は、鉱物でできた脅威の生命体だった。やがて、ヘドラと名付けられたその生物は、少しずつ巨大な怪獣へと姿を変え、ついに港から上陸する。そして、主食であるヘドロを求めて工業地帯を襲っていく…。

「ゴジラー1.0」の配信を機に、Amazonプライムで過去のゴジラ映画が一斉に配信。
あまりの懐かしさに本作をセレクト。
昭和の時代、子どもの頃にTVで見た本作の印象は「気持ち悪い」だった。
ゴジラよりもヘドラの異形ぶりを良く覚えている。

思えば、昭和の当時は都市の川はほぼドブばかりで、海辺の町は工業廃水や家庭排水が流れ込み、漁業で水揚げされた魚の匂いと混じり合い、とても臭かった。
ヘドロという公害の混沌の中から「妖怪人間ベム」のように生まれたヘドラは、今も叫ばれる「人類の行き過ぎた文明への批判」である。
1970年代(昭和40年代)の高度成長期における工業廃水による水質汚染、工場の光化学スモッグによる大気汚染など、公害への批判をストレートに押し出し、またその時代を風刺して描いた、とてもメッセージ性の強い作品である。

水銀、コバルト、カドニウム~♪なんて化学物質の名前を連ねたメチャクチャ変な歌詞の主題歌からシュールで、歌手のファッションと極彩色の映像からは70年代のヒッピームーブメントに影響されたサイケな雰囲気が漂う。
そして、そのサイケな模様と被るように映し出されるギトギトの油とゴミが浮いた海面は特撮とはいえ汚らしく、当時の公害の深刻さを訴えてくる。

矢野博士の元に届けられた奇妙な生物の一部は、公害の毒素にも耐え、自在に結合する突然変異種。
巨大化したヘドラは海に浮かぶ有毒物質やスモッグをエネルギーとして、進化を重ねていく。
ゴジラも核物質による突然変異種なので、本作の怪獣対決は、完全に人間の引き起こした人災である。

この当時のゴジラは、正義の味方で子どもたちの味方。
つぶらな瞳のベビーフェイスで可愛い。
最初の対決では、ヘドラが工業地帯を襲う危機にゴジラが人間を助けにやってくる。
口から吐き出す熱線と持ち前の腕力と健闘するが、ドロドロのヘドラの身体には暖簾に腕押し。
しかもヘドラの吐く液体は有毒で、さすがのゴジラも苦戦する。
ようやくヘドラを仕留めたと思ってもゴジラに破壊されたヘドラの破片は動き回り、辺りを汚すし、溶かしまくる。
ベチョっと建物に飛び散り、室内を埋め尽くすヘドロ。
いかにも臭そうで、こんな死に方は絶対に嫌だ。
被害を巻き散らしながらヘドラは海へと逃げていく。

矢野博士はヘドラを食い止めるべく研究を続け、ヘドラの弱点は「乾燥に弱い」ことを突き止める。
だが、やがてヘドラは進化を遂げて更に巨大化し、空を自由自在に飛ぶことができるようになる。
ヘドラは飛びながら超猛毒の硫酸ミストをまき散らし、浴びた人々の身体は溶けて白骨化し、金属は錆びて腐食。
植物は枯れ、生き残った人も目に痛みを訴える。
もはや動く公害で、日本は大ピンチだ。

矢野は自衛隊に対ヘドラ用兵器制作を依頼するが、一方で若者たちがなぜか富士山麓で「100万人ゴーゴー」なるイベントを開催する。
「もう、どうせ死ぬから最後に楽しもうぜ」と言わんばかりのヤケ糞と無責任。
「生きているうちに楽しめ」というのは、いかにもヒッピーの発想だ。
それを遠くから農村の老人たちが「最近の若い者は…」と冷ややかに見つめるカットがとてもシュールだ。
戦争を生き抜いた世代と戦争を知らない世代の意識の乖離が、実に戦後の昭和である。

そこにヘドラとゴジラが現れ、再び戦う。
進化を遂げたヘドラにゴジラの物理攻撃は効かず、ゴジラは片目を潰され、片腕を溶かされる大苦戦。

その時、自衛隊は乾燥作戦を決行。
巨大電極板に誘い込むが、電力不足で機動に時間がかかる。
この件も良く停電した昭和を思い出す。
そこでゴジラが間に立って電極板に放射熱戦を発射、大電流が発生する。
科学的な理屈は全く謎だが(笑)

矢野の狙い通り、超高圧電流を受けてさすがのヘドラも遂に乾燥。
ゴジラはとどめを刺そうとするが、干からびたヘドラの体内から小さいヘドラが飛行形態になって逃げていく。
すると、なんとゴジラも熱線を吐きながら空を飛んで追いかける。
もう重量と重力を無視である(笑)

ゴジラは小さいヘドラを電極板に押し込み、何度も叩き潰して乾燥させ、ようやく完全に倒すことに成功。
戦いは終わり、ゴジラは「人間のせいだぞ」と自衛隊員らを睨みつけると海に帰っていく。

高度成長期の世相をストーリーや映像に織り込んだ展開は、まるで昭和史の一部を見ているかのよう。
科学文明が産んだ怪物を描いているのに、科学的根拠と描写が全くないのが(子ども向け映画なので)難点。

ゴジラを子どものヒーローとして勧善懲悪を描いていた当時、「人類がヘドラ(公害)という悪を産んだ」とメッセージは、異質で私の頭にも強烈に残っている。

主人公の少年同様、私も自分達を守る正義の味方としてゴジラを見ていた。
苦戦の末に子どもたちの未来を守り、ゴジラはヘドラに勝利するのだが、実は何の解決にもなっていない。

印象的なラストの葛飾北斎神奈川沖浪裏のカットは空も海も綺麗だった頃の日本の象徴で、その後の「もう一匹?」とヘドラが映るのは、明らかに「公害は簡単にはなくならないぞ」という警告。

実にダークなエンディングだ。
70年代にゴジラが警告を発してくれたのに、今も公害はなくなってはいない。
本作の後、何も出来ずに育った自分にも責任はあると痛感。
SDGSが叫ばれる現在こそ、多くの人に見てもらいたい。
もし可能ならば、「ゴジラVSコング」をシリーズ化するよりも真面目に現代版としてリメイクして欲しい作品である。
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