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婦系図(おんなけいず)
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『婦系図(おんなけいず)』に投稿された感想・評価

✔️🔸『婦系図』(4.2)🔸『雁』(3.3)🔸『朝の波紋』(4.4)▶️▶️

 三浦(カメラ・照明)作品を改めてかなり纏めて観てると、その細やかな方法論や高いレベルの処理に、でしゃばりすぎない、しかし、作品の監督に従属しただけではない、誇りと実現力に惹き込まれてゆく。
 日本映画もこの撮影監督も、広く文化の中央に位置するようになってくると、目につく冒険は出来なくなってくるが、その中に才気を忍ばせ、気づかないうちに観る者を震撼させることが出来る。
 マキノの戦前は、新人期を経て娯楽の中心的推進者になっても、いち早くズームレンズを使用と技術ばかりでなく、話法においても、才気煥発、目をむき・同時に深く納得するばかりだ。
 30数年振りにやはり魅惑に逆らえず観た、遺されてる『婦系図』は、1/3は縮めた総集編のせいでもあるが(画質もかなり劣化、というのか、この頃の東宝の保存環境か、先鋭精密さの角を丸っこく、慣らした感)、シーン間、そしてシーン内でも滑らかさが隠すも驚くべき流れの速度で、途中受ける脇の者が補足・進行させる存在と台詞の巧みさは効率よりも中身を内に落とし込む。二つの離れた場が呼応部分を持って切り替わりまた戻るのもタイミング完全、そして視覚的にもワンシーンの90°変や切返し・どんでんの寧ろ快適な目まぐるしい立体的カッティング、従の横へや縦へやそれらのフォロー(連ね)移動は2人の別れ話の頃からどっしりしたカット・トーンのメインになってゆき、また終盤はアングルが滑らかには繋がらぬカッティングの力や幻影の現れ消えの照明処理力がメインの感銘と僅かの不条理含みへ、となる話法。
 撮影はその速度に水を差さないよう、アレッと思う凝り方は避け、マイルドなトーンは、顔は柔らかに収め、寧ろ周囲の場の光線のはいる形や状態に質感の変化・特異差を持たせてる風。手前に物を風情醸し出しでも置いたり。マキノのデクパージュやモンタージュの足枷にならず、寧ろ滑らかなベースになり、終盤は重石になるような、情感と風格に。セットはこれ見よがしでなく、内から品格を伸ばし広げ、物騒な主税の研究は、花火絡みで柔らげられてる。
 長谷川=五十鈴コンビを彩る、当時の一線スターらも堂に入ってる。しっかり芝居が絡み、スッ飛ばした所も弱さが明らかにはなってない。原作の鏡花のものを知らないが、酒井の娘の妙子と、産みの芸者の母のとの描写が手薄になってる気がしたが、頑なで高飛車なな酒井の物言いはいくら緑波とはいえ、納得できない中、「死にたいと。恨みや意地からではなく、足手まといにしかならない自分を、再会した時から。別世界のひとなのだと」と自らの意志もあり、別れの後、急激に健康を害してくお蔦の述懐と、嘗ての仲間の恥もなく続けてたスリ稼業での捕らわるピンチを救うも、「もう(嘗ての)仲間ではない。自首して罪を償い、(新しいこちらの)仲間として来い」と叱り更正させる主税の描写があり、前者は同じ飯屋の衝立て裏の席で酒井も聴いてた事で態度を改める事も加わり臨終の場で「未来で一緒に」と言わせ、主税の「先生は恩人、言葉では言い尽くせない」という貫きも、お蔦の理解も、彼らの内部では筋も未来も曲げていない、正しいかどうかは別の、信念の強さと高貴さが現れてる。主税は結局知らせにも駆けつけず、お蔦の幻と「いい女房でしたよね」「・・・お蔦っ」と生身以上の会い方をするのだが。
 主演準主演=脚本=演出=撮影ら、のよくその内の何人かが組み合うをしてた、当時の東宝最高作り手らの何気も、が今の基準からすると驚くべき大した成果。
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 これに比べると、半世紀前、映画のガタイがいいだけの駄作と決めつけた『雁』は根本的に及ばない。やはり豊田は広い世界への突き出は無理で(原作・脚本も美術・撮影・音楽も一級名ばかりなのに)、しかし、今回見直し、やはり狭いグジグジが否定できない良さがあると、評価はアップしたい。積み上げてく力はやはりないが、留まる地点への馴染み嵌まり感は、やはりいい。浦邉はともかく、二十代の高峰秀子の肉感の強調も、力になってる。薄汚さへ行けるのも豊田か。高峰は、この後老け役や減量役をして、名優に完全にシフトしてく。
 再見を長く避けてたので、東宝作とばかり思い込んでたが、まだ争議の余波残ってたか、大映=エイトプロの作だったが、これも同じ作り手の、『雨月物語』に近い美術の、ローアングルからも押さえ抜いた美術への、一体化し且つ筋を通してく力がある。顔も潰さず浮かび上がらせず、グレーの層巾が広く確か。窓枠や雨垂れを抜けた影らも絶妙。ラストの雁は嘘っぽいが、大小家屋内外ばかりでなく包む自然や繋げる路や坂のあり方も確かで真の重力と厚みを持つ。
 横へ+退くカメラ、格子や葉々・雨垂れやモヤ抜けの家屋や時刻絡みの影と明るみ、心理浮かばせやオブセッションによる妖しい影部、植物や動物・取り分け蛇や蓮や鳥の展開進行起点押さえ、時に強い俯瞰めもる90°変や切返しや少角度変、動物間や人間の顔間の絡みや動き(時にカメラも)。
 仲介の女の持上げ嘘もあり、余計囲われて張合いを、失ってく女が、留学の夢と資金で高利貸しの旦那とも関わりある、近くの理系大学生とふとした事で知り合い、向こうも気掛かり中、偶然の助力や希望を託すも、更に嫌な家を出たものの、陰で見てくだけの存在と自分を知る。
 若さを傲慢なまでに押してくる高峰よりも、囲ってる東野の方が生身では感じさせくる。「俺の嘘と、お前の(交際を)黙ってた事とは、(次元が)違う。俺(ら)は這いつくばって生きてくしかないんだ。お前も、あの欧州へ行く学生とは離れてくだけなんだ」の語り口調。
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 五所には巧妙な癖や意図を封じ込めながら、統一的まろやか独自味の名作と言われる作もあるが、個人的には感覚的な、サッパリした、感覚を放っただけを並べた、あっさり才気だけで連ねられた作らが好きだ。『伊豆の娘たち』や『朝の~』が代表的な作で、私のフェイバレットだ。 
 確かにこれは、前観てから個性的な登場人物・名優らの半分はどこに出てたか忘れてたくらい、後腐れなく、次々に事件や出会い・思惑の空転と思わぬ暖か結びつき、が絡んでく。それらに繋がりを求めるのが名作というものだろうが、ここには配置と盲目的にも見えそうな楽天性があるだけだ。
 「生来の英語下手」「生来の優しさ(善良さ)」から、取り分け前進を選ばない、落ちぶれた旧家なのか、バイトに勤しむ美大の妹と、耳遠い・とんちんかんな婆やと暮らす青年イノサンと、箱根の旅館で働く母から預けられた少年(と半野良犬)を介し出会い懇意になってく、実父母らと暮らす、弱小商事会社で働き、社長秘書ながら、堪能な英語で営業でも成果上げてる若い女アツコ。やり手ぶりと1歩退いても見せない可愛げのなさに、男の社員からもヤッカミと、逆に前向き実力同調者、を生んでいる。偶々再会の旧知の外人から、大口の日本工芸品の高価高額の注文をものするも、その製造業者に大手商社から、納期を遅らす横槍がはいる。元々この話はその会社の担当が進めてた話だったが、英語に不慣れで、契約の約束の日時に遅れてしまって、それを横取りした形になったのへ報復だった。その担当とは正しくイノサンで、国際信用に関わる問題、小さな会社には死活問題と、製造会社に日参のアツコらは、イノサンとの仲にもヒビが入る。しかし、これはハンペイタと社内でも半人前扱い終わらぬイノサンに、やり手後輩が汚名挽回の為にやってくれてた事で、心を痛めたイノサンは工場にアツコ優先にこっそり切り替えさせる。そして自らは、結核癒えぬのに出勤を始めた同僚の為に、ストレプトマイシンの都合を計る内に、その米国担当会社が戦争中世話した米兵の父の経営するものと分かり、会社にとってもトピック的契約が成立し、一躍社内でも、発言権が増す。三つの希望~社内に療養所・健一の母の東京勤務場確保・そして捨てられんとした犬と家出の健一捜しにとそこで語る場の為のアコとの休暇~を出す。イノサンのしたこととせんとしてることの全てを理解して心開いてるアツコと、忌憚ない話の場を、健一のいた郊外の孤児院で得る。
 アツコに、自社設立で仕事と求婚を申し込む、やり手同僚には、「仕事と人生を同一視してたが、他の広い世界があるかも」と言葉濁し、イノサンには「生活=人生を超えた広いものを教えてもらった」と感謝し、似た感謝を返された彼と、互いに婚約者が戦死か・帰還待たずで人間不信の、戦争犠牲者の面も、取っ払われて一気接近へ。工場の底辺的働き手の女性らの支えへ悲惨を覚え、健一への姿勢を「責任か愛情か」とイノサンに問い直されもした、アツコ。
 一見、善良者や主役もてはやしのイージー作品にもみえるが、世の中は「懇々の知己」というニヒリズムからの達観のの境地の、どのキャラもウェイトに差のない、稀なるビジョンの作。認めたくないがニヒリズムが普通に持ち上がろうとしてる社会。社会に、向かい暮らす意気に応じた実態を探りまさぐって猪突~めの女と、それを絶ちきり大きな世界の反応を端から見限り、小さな世界と飄々と生きてた男の出逢いと絡まりは、他の何処でも形を変え、起こり得るもの。
 タッチ・トーンもあざとさから、その隠されたニヒリズムの2人の微細な反応・視線起こしの向きと力、を捉え収めてて、煌めき・才気・新鮮な力が溌剌持続収まらずが・共通するだけで、作品を貫き導くスタイルやビジョンはない。うんと後方ボケてても、窓から身を乗り出しての外界の半分が整ってなくても、構わない。全体がグレーめ一面の紗がかかり・またそのあとのシーケンスでは現像のせいかもわからないがハイコントラスト過ぎのバラつき、流れ阻止もそれの上位がうっすら感じられる。花の画面一面や陽沈むのの一部捉え、慎まし内向かう庶民の家と崩落前かの屋敷の荘厳の欠片感、縦め切返し押しと・素直なパンと伸びやか横へ少し回るめ移動、顔は潰さずもグレー抱えた質と・エッジがテカリ表す存在感誰もがの息づき、とバラバラさ故の鋭いフレッシュさと表に出にくくもアプリオリ的根の押さえがあるが、アップの目線の向きとそのタイミングの鋭さからは離れない持力がある。役者も自らは何処まで本気で没入してるかわからない、ある種の距離感が、結果的に本当を感じさせ、感動へも来る。













   直後感
■『婦』。死にたいと、恨みや意地でなく、足手まとい、別世界。未来で一緒に。いい女房、お蔦っ!!。先生恩人・言葉には、仲間では・仲間になれっ。私のせい、その前から。
顔以外照明力、手前に物、2場交互切り替え、90・どんでん・切返し目まぐるしく、横やFや移動。どっしり移動らから、またアングル繋がらぬ力に。
■『雁』。這いつくばり生きるしか、離れてく、嘘と良くない事、
横へ+退く、時に俯瞰め、90や切返しや小変、パンフォカスめ、家屋+時刻+雨やモヤ・或いは心理の照明と半影部、傘模様・格子や葉々の影・植物や蓮や蛇や鳥らの存在、人顔の絡み、音楽や太鼓音、3986.10、胸元、ミスキャスト、かすみ・くすみ、雨影
■『朝』。こんこんと知己、半平た、生来英語は・優しい、仕事=人生以外も、生活=人生を越えた広い物が、真剣み、責任か愛情か、教えられ、戦争被害者・女不信、やっと、大手のんびり、ストレプトマイシン契約で三つー療養所・女一人・休み伸ばし、嫉妬愛想、下で、素直な人・真っ直ぐ、善良
後ろボケてや横窓外乱れも、肌のグレーめとエッジ+テカリ、パンや横長め、縦リバース、アップと目線入れタイミング、グレーシャかけ1面後・コントラスト強め、花や日の一部も、
mingo
4.2
山田五十鈴特集でたぶん「昨日消えた男」との二本立てがぶっちぎって1番面白いプログラムだったはず…
三隅verのが有名な本作だが、絶対マキノverの方が映画としては良いよね。前者観てないけど、、、線香花火の美しさがお蔦の悲恋の儚さを助長し、後半はもうずっと胸が苦しかった。あとはやはり撮影の三浦光雄が素晴らしすぎる。二度出てくる蕎麦屋と境内のシーンでの演出はもうエモすぎる、そしてラストで二人が別れ際に訪ねた時に登場した火消しの男二人が登場して「終」、深い余韻を残す完璧な終わり方だ。
山田五十鈴はもはや言うまでもなく燦然と輝く美しさだが幸の薄い役ほど映画としての強度が増すようだ。物語の流れといい、あまりにも傑作だ、
5.0
山田五十鈴がとんでもない。最後の芝居なんて神がかってる。
引いては寄って的確な繋ぎもあれば、別れの散歩をねっとりと長回しで抑えたり、縦横無尽の語りの技が見れる。
アクション繋ぎでも微妙にダブらせたり、ポン寄りも一度だけじゃなく2度ポン、ポンと寄ったりして情感を高めていく。駅で走る山田五十鈴をサイズを変えて繋いでいく手捌き。
早瀬の職業を花火の研究者に変えていて、印象的な打ち上げ花火の使い方がされるし線香花火とラストのランプが消えていくのが重なって見える。
泣かせに行きすぎな感はあるけど、原作がそうなんだろうし仕方ない。

『婦系図(おんなけいず)』に似ている作品

瞼の母

製作国:

上映時間:

83分

ジャンル:

配給:

  • 東映
3.9

あらすじ

5歳で母親と生き別れた番場の忠太郎。博徒になり、母を捜す旅を続けていたある日、弟分を救うため飯岡家の数名を斬る。江戸に向かった忠太郎だが、飯岡家の追っ手も迫る。そんななか、母と思われた女性…

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