残菊物語の作品情報・感想・評価・動画配信

「残菊物語」に投稿された感想・評価

ジジイ

ジジイの感想・評価

4.0
溝口戦前の大傑作。山椒太夫の兄妹、或いは近松物語の茂兵衛とおさんにもつながるような菊之助とお徳の悲恋。これが実話に基づく話というから驚く。淀川長治は羅生門、戸田家の兄妹と共に自身の邦画ベスト3に本作を挙げている。デジタル修復されており、思いの外台詞も聴き取りやすい。クローズアップはほとんど見られないが時折り役者の眼に光るものを認めることができる。残菊とは俳句の季語で秋の末や冬の初めまで咲き残った菊の花をさす。苦労の末にようやく歌舞伎役者として花開いた菊之助の姿になぞらえているのだろう。ラスト近くの父菊五郎の台詞に絶句。虚をつかれて泣いてしまった。
溝口の長回しの真骨頂が発揮され映画でありながら舞台劇を観ているようでもある。歌舞伎の尾上菊五郎の息子菊之助は周りに若旦那とチヤホヤされるが世間の目は芸が未熟な半端者扱いと陰口されているのを知っている。女中のお徳だけは本音を言ってくれて若旦那を励まし、若旦那もお徳の励ましに応えようとするが周囲は2人の仲を疑りお徳に暇を出して仲を引き裂く。この2人の悲恋物語だが、歌舞伎の演舞台もじっくり入れて力強い格調ある映画になっている。〝若旦那〟から〝あなた〟と晴れて呼べるようになった時には病い重く、菊之助の道頓堀川での船乗り込みお披露目雄姿を観ることなく息を引き取るラストの対比も余韻を残してイイ感じ。
溝口の映画っていつも女の人が酷い目にあってるしこの映画とかフェミニストの人とかめちゃくちゃ思うところあるんだろうけど1人佇むおとくの姿が何度となく琴線に触れる。終盤おとくのもとへいそぐところで顔アップ移動撮影するところめちゃくちゃいい。ちょっと違うけどレクイエムフォードリームの顔アップはこれぱくってるかもしれない。最後に瞼の裏に映る姿が本当に誰かにとっての幸せだったのかという疑問を持たずにいられないなんともいえない余韻。
ふんだんな長回し、横移動や人物とカメラの間に何かが入る…この感じはそうか、オフュルスだわ。溝口作品は「近松物語」と「新・平家物語」しか観てないので、戦前のは初。いやー、ちょっとしばらく溝口作品観まくりたい。

河原を歩く場面のアングルが下から見上げるように撮っているので、メインの人物以外に空、建物、通り過ぎる人たちなど全てが入る構図に引き込まれた。歌舞伎の舞台は、ほぼ正面で様々な角度から、それ以外の舞台裏になると上下の動きを長回し。

あの赤ん坊が六代目なのか…とかいろいろ歌舞伎界の話としても楽しめた。花柳章太郎は、母が好きで「残菊物語」も新派の舞台でよく観たらしい。章太郎は手が早かったというエピソード、お徳役の森赫子はそれを本にしたって話も聞いた。

菊之助がお徳との仲を反対されて家を出て行く場面、それまできっちりカメラは菊之助の動きを追っていたのに、追うのをやめ、声のみのやりとりを聞かせながら里たちを映し、家を飛び出して姿が見えなくなった後の障子を見せるという演出が面白かった。

映画の中で行われる歌舞伎の演目、ひと目見てなんの演目なのかすぐにわかる場面が選ばれていた。四谷怪談の戸板返しのところとか、関扉の墨染が木の中から出てくる場面など。適当に選んではいない。歌舞伎の舞台も様々な位置から撮っていて、見応えがあった。
2021年一発目。大傑作。。80年以上も前に若くしてこの映画を作り上げた溝口健二は本当に恐ろしい。引きの長回しを見事に操りながら、画に迫力と緊張感を持たせているのがほんとに凄い。菊之助とお徳の恋愛映画でありながら、二人を寄りで捉えることはなく、ただただ距離をとって二人の姿を捉え続ける。その空間に色んな役者が出入りしたり、追いかけなかったり、、あくまでカメラはそこに空間を与え、そこに役者がいるというカメラワーク。常に神の視点と観客の視点から撮られ、役者の領域には立ち入らないスタンスを感じる。歌舞伎のシーンでは、歌舞伎を色んな位置から抑え、あくまで歌舞伎そのもの映すと言うより、歌舞伎が行われてる劇場の空間を捉えるような視点からのショットは今見ても斬新で面白い。観客もまた、歌舞伎の演出の一部であることがよく分かる。これからも観続けたい作品。

2021 #1
Gak

Gakの感想・評価

3.9
映像が古すぎてそれだけでよくぞ我が目に飛び込んできてくれたと、時空の歪みに感動。

歌舞伎の世界を使ったロミジュリ展開

普通の道を歩くシーンを、めちゃくちゃ角度ある斜め下から撮る手法
たしかに、これだと家と空同時に映るし、ただの移動にとても華が出る
oVERSON

oVERSONの感想・評価

5.0
本当にミリ単位でこだわってたんだ、ということがよく分かるカメラの水平移動の仕方。
『劇場』まで繋がる聖女像。
2020-583
<概説>

実力の伴わぬ名家の坊と若々しき乳母。二人は家のしがらみによって引き裂かれ、あまりにも悲しき結末へと行きつく。巨匠溝口健二による身分違いの恋物語。

<感想>

1939年といえばまだまだ日本映画は発展途上。

日本映画界が誇る黒澤明監督はまだおらず、小津安二郎監督も自己研鑽の只中。世界的にはアルフレッド・ヒッチコックもオーソン・ウェルズおらず、いたとしても戦時でろくに新規手法の流入しない時節。

そんな。暗中模索の頃合に。この作品が。

舞台全体を映さない挑発的な映像。
時代掛かるにしても過ぎたる舞台設定。
華々しさとは程遠い悲恋物語。

そのどれもが革新的。

いえ。模倣されないならば天才的と形容しましょう。

こんな陰の際立った撮影方法、今の邦画ではろくすっぽ見やしません。100年後の世界にあってなお天才的。100年後の世界にあってなお安易に真似されぬ。

これを為しえた者を、どうして評価せずにいられましょう。

お気にいりの度合いだけならまだまだ『山椒大夫』が上ですが、完成度という意味では最高傑作とされるのも納得です。
技術的に鑑賞し難い部分はあったが、とはいえ戦前の日本映画を代表する作品である、素晴らしい出来であった。なにより、ショットがキレキレなのである。他の彼の作品と比べてもズバ抜けて構図が考え抜かれている。さすが名だたる映画人たちのオールタイムベストに選ばれるほどの名作であった。
砂場

砂場の感想・評価

4.2
これも衝撃を受けた一作。

菊五郎は養子の二代目菊之助(花柳章太郎)の芝居の出来に非常に不満があった。しかし周囲は若旦那菊之助をチヤホヤし誰も厳しいことを言わない。菊之助も己の未熟さを感じてはいたが芸を磨くことはしなかった。
弟の子の乳母お徳だけが彼にはっきりダメ出しする。その素直な物言いに感動した菊之助は次第にお徳に好意を抱く。しかしそこは古い歌舞伎界、仕様人が若旦那と恋仲になるなど許されるはずもなくお得は暇を出されてしまう。菊之助はお徳を女房にしたいが菊五郎から許されずお徳を連れ家を飛び出し大阪に。しかし出演する舞台の評判は散々であり、サポートしてくれていた多見蔵親方の死去もあり旅回りの一座にまで身を落とす。
4年後、ぼろい小屋での旅芝居、揉め事ばかりの役者たち、お徳との仲も悪化。困窮する生活の中でもお徳は菊之助を励まし続けるが、一座の興業は中止になり女相撲にとって変わられる。ついに行き場を失う二人。
雑魚寝の木賃宿で、福助の興業がこちらであることを知ったお徳は菊之助に内緒で役をもらえるように交渉する。そして一座の大役を得る機会がきた。数年間の苦労が芝居の表現を高め、評判もよく東京に戻れる事になった。
しかしお徳は自分は身を引く決心をし、姿を消す。
東京でも成功を収めた菊之助であるが常にお徳のことを思い出すのだった。大阪への凱旋公演があり、重い病気のお徳が大阪にいることを聞いた菊之助はお披露目の船乗り込みの時間が迫っていたため躊躇う。その時かつて交際を反対していた菊五郎が「女房の所へ行ってやれ、お徳がお前の芸を支えていた。自分も感謝していると伝えてくれ」と言う。
病床のお徳に会えた菊之助、旦那のメッセージをお徳に伝えるとお得は涙する。そして大事なお披露目の船乗り込みなので行きなさいと菊之助に最後の力を振り絞って言うのであった、、、、

身分違いの恋、お徳の真の強さ、菊之助への愛情の強さに感動する。最後の父菊五郎のセリフもグッとくるよなあ。こう言うの弱いんすよ、まあ鉄板のフォーマットなんだけど分かってても涙腺崩壊。

溝口の不思議な空間造形、入り組んだ舞台裏、横に移動するカメラ、なかなか主人公たちの表情は読み取れない。歌舞伎などの舞台ではなく映画ならではの表現ってなんだろうと言う原初的な試行錯誤が見られるのでこの時代の映画って面白い。
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