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街のあかりのnetfilmsのレビュー・感想・評価

街のあかり(2006年製作の映画)
3.7
 男はまだ寒い駅構内を巡回して回る。警備服を着ていても肌寒い深夜、白い息を吐きながら不審者がいないか注意深く見つめていると、酔っ払いが作家たちの話を語らいながら、向こうへと消える。各拠点でバーコードを読み取り、施錠されたカギの束を持ち帰り男は今日の任務を終える。帰りのロッカーの前、同僚の男に声を掛けるものの、彼らの目線はどこか冷たい。フィンランドのヘルシンキ、百貨店で夜警をするコイスティネン(ヤンネ・フーティアイネン)は寡黙な男だった。まるで『コントラクト・キラー』のジャン=ピエール・レオのように孤独な男はいつか独立し警備会社を起こし、自分を馬鹿にする人間を見返してやろうと心に決めていた。起業セミナーに通い、ひたすら金を貯める男の暮らしは平凡そのもので、たまにキッチンカーのソーセージ売りアイラ(マリア・ヘイスカネン)に身の上話を話すことくらいしか楽しみがない。そんなある日、彼の前に綺麗な女ミルヤ(マリア・ヤルヴェンヘルミ)がつかつかと歩み寄り、彼の目の前に座り微笑みかける。男は女を怪しむものの、彼女の美貌には抗えない。こうして馬鹿な男は悪の組織の罠にまんまと嵌っていく。

 コイスティネンは最初から運命の女に出会っているのだが、心底鈍感な男はその事に気付かず、別の女を運命の女と思い込む。その意味では彼は、カウリスマキ作品史上最も馬鹿で愚かな主人公と言ってもいい。奥手な男はミルヤの魂胆にに気付けないまま、彼女に延々と振り回され続ける。警備員としての職業意識も疎かで、防犯意識も脆弱な男は組織にとってこれ以上ない「穴」となる。壁の花になりながら、彼女が別の女にナンパされて連れていかれるのをただ黙って見つめるしかない男。かと思うと水も満足に飲ませてもらっていない犬に自分自身の姿を重ね合わせ、力量も考えず突然、チンピラたちに挑みかかるなどその行動は行き当たりばったりで節操がない。だが女への思いだけはどこまでも純粋でいじらしく、その姿に思わず母性本能をくすぐられる。ミルヤに赤いバラとベーグルをプレゼントし、初めての夜に挑もうとした矢先の2人の姿は、虚無というほかない絶望的な距離を感じさせ、2人の目線はまったく交差することがない。全編に渡り、カウリスマキのシニカルなブラック・ユーモアが滲む。
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