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あゝひめゆりの塔のlarabeeのレビュー・感想・評価

あゝひめゆりの塔(1968年製作の映画)
3.5
【「ああ」ではなく「あゝ」っていうところがいい】

前半は戦時下なのに結構キャピキャピ(死語)した女学生の日常が描かれており、あんまり戦争の緊迫感無いなぁ、なんて思って観ていたが、後半にかけてその反動をくらう事になる。

日常が幸せに描かれれば描かれるほど、非日常(戦争)の悲惨さが際立つ。

吉永小百合の清楚で無垢な姿は言わずもがな。後に日本人女性で初めて北極点に到達した和泉雅子のなんて溌剌で可憐な事。

こんなに明るく普通に日常を送っていた女学生が簡単に戦争に巻き込まれ、臨時の看護部隊として従軍を余儀なくされる。

置かれた環境に不平不満を言う訳でもなく、いがみ合ったり裏切ったりする事も無く、彼女たちはただただひたむきに自分たちに求められた役割を全うしようとする。なんて純粋なの。さっきまで話していた仲間が銃撃されたりしていても、ただただひたむきに。

この作品には悪い人が一切登場しない。女学生はもちろん、男子学生も教師もみんないい人。この夏、何本か戦争映画を観たが、どの作品にも必ず悪人が出てくる。戦争映画で悪人が出てこない映画って他にある?

戦争映画には悪人が出てくるのは当たり前、戦争自体が悪なのだから。暴力的な上官とか保身に走る政治家とか相手国の指導者とか。主人公たちはそんな悪人から納得のいかない扱いを受ける。

観客はそんな主人公たちに共感、賛同して悪人に怒りを覚え、作品に没入していく。

しかしこの作品にはそれがない。悪い人が出てこないので観客は誰に怒りをぶつければいいのかわからない(敵国の戦闘機から攻撃は受けるが人物は登場しない)。

しかしそれが戦争なのではないか。特定の誰が悪いとか個人だけに罪を着せるものでは無く、戦争という行為が行われる状況が悪であって、個人ではなく関わる人全てに責任がある。

意図した演出かどうかわからないが、特定の悪人を出さない事によって、却って戦争の問題点があぶり出されている。そしてその被害にあうのが無垢な女学生だから一層戦争の無常さが引き立たさる。

戦争は誰かのせいで終わらせる事なく語り継がなければならない。
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