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ジョニーは戦場へ行ったのtakのレビュー・感想・評価

ジョニーは戦場へ行った(1971年製作の映画)
4.4
個人的プロジェクト「名作映画ダイジェスト250」(ロードショー誌80年12月号付録)制覇計画のためセレクト。

恥ずかしながら今回が初鑑賞😓
観る機会はそれなりにあったくせに。
映像が使われたMetallicaのPVもリアルタイム世代のくせに。
要するに、僕はあらすじと噂だけ聞いて怖気付いてたのだ。ダルトン・トランボが1939年に発表したこの小説は、反政府文学とみなされて戦争が起こると絶版、終わると復刊を繰り返したと聞く。映像化された本作、これまで観た反戦映画とは全く違う、強烈なメッセージと描写と衝撃がある。

触覚以外の五感を失った男性が、両手両足を失い、脳の大部分にもダメージを受けながらも生きている。首だけは動かすことができるが、神経的な反射だと捨て置かれてしまう。映画は客観的な室内での描写に、ジョニー本人の意思がナレーションとして重なる演出。ジョニーの気持ちとそれに反する周囲の行動や処置が強く印象づけられる。映画前半はこうしたベッドの上の主人公を人間として扱わない冷たさがモノクロームの映像で表現される。

それと対照的なのは、色彩がついた回想やジョニーの想像による場面だ。出征前夜に恋人カリーンと抱きあう場面、過酷な戦場の場面、カリーンが出てくる舞台劇のような幻想的なシーン、生ける肉塊と化した自分が見せ物にされる想像。中でも印象的なのは、ジェーソン・ロバーツ演ずる父親とのやりとり。お気に入りの釣竿への愛と民主主義を守るべきと語る一方で、「どの主義も変わらん。若者に殺し合いをさせるだけだ」と言い放つ。

映画後半、新しい看護婦がやって来てから物語が少し動き出す。胸の上に彼女の涙が落ちる場面。クリスマスの夜に彼女が指で書いたMerry Ciristmas。わずかながら通じ合える瞬間に涙があふれる。そして、モールス信号を使う名場面がやってくる。繰り返される"Kill Me"に込められた気持ち。

もう映画としてどこがいい、どこが物足りないとか語ることが無意味に思える。ここで描かれていることが全てだ。どう感じるかは人それぞれだろうが、戦争がもたらすことについて考える貴重な2時間になるのは間違いない。

(蛇足ながら)
これをもし今リメイクしたらどうだろう。分かりやすさを重視する現代ハリウッドなら、最新映像技術を駆使して生ける肉塊となったジョニーの姿を描き出してしまうかもしれない。リメイク版「ロボコップ」(2014)で生身のマーフィがどこまでなのかを、生々しく見せた場面を思い出した。けれど、そんなビジュアル表現はこの物語に必要ない。本作には物語自体の強い力がある。それでも、ジョニーの容姿を隅々まで映像化しようとするセンスのない映画人が、本作をリメイクするならば、僕は間違いなくそいつの作品をボイコットする。
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