まぬままおま

トリコロール/赤の愛のまぬままおまのネタバレレビュー・内容・結末

トリコロール/赤の愛(1994年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

クシシュトフ・キェシロフスキ監督作品。
トリコロール三部作・赤、イレーヌ・ジャコブ。

真赤な秘密、照らす光。

ヴァランティーヌが独り身で気難しげなジョゼフと親密になる理由は少し欠落している印象を受ける。だが、ジョゼフの盗聴と彼女の恋人が電話で浮気を疑う行為はどちらも、「秘密を聴く(聴きだそうとする)」という運動で一致する。そしてジョゼフは彼女に「哀れな人」と言われることで、反省して罪を償うわけで、それにより彼女の恋人とは別様の生に開かれたということなのだろう。だからヴァランティーヌは裁かれたジョゼフに接近できるし、親密になれる。

たいてい秘密は秘密のままであったほうがいい。しかし秘密を暴きたくなってしまうのが、人間の性であり、恋人のように親密な他者に対してなら尚更だ。問い質しや窃視、盗聴だって何だってする。だが案の定、秘密は暴かれた瞬間に平穏を崩す。

誰しも秘密は抱えているし、気になる。でも暴いたら、明らかに今までのままではいられなくなる。その真赤。どうすればいいのだろうか。

ヴァランティーヌは物語の中盤、住まいの扉の鍵穴にガムを詰められて入れなくなる。その後、家主にガムをとってもらい入れることになるのだが、実は「扉」に関する描写は三部作に通底する。『青の愛』ではジュリーは鍵が閉まって「追い出され」、『白の愛』ではカロルが鍵のかかった部屋に侵入するというように。このように類似が指摘できて面白いのだが、秘密に対しては『赤の愛』の扉の場合がよいのだろう。つまり「開けてもらう」。

秘密は暴いてはいけないが、心を開いてもらい打ち明けられるならよい。それがジョゼフの秘密の打ち明けだろう。人生で最も愛した女性に裏切られ、事故で亡くして取り返しのつかない過去。そして彼女の浮気相手の男を裁いたという秘密。
この秘密を隠し通したのが、ジョゼフのこれまでの人生である。しかしヴァランティーヌに出会ってしまい、盗聴の秘密を彼女に知られてしまった。今までの平穏な日々にも戻れなくなってしまった。しかし「哀れな」平穏を反省し、別様の日常を生き始める。彼女に秘密を話し、心を開いていく。この未来や他者への〈開け〉はきっと光だ。

ラストシーンのドーヴァ海峡の水難事故によって、青が補填されトリコロールカラーが完成する。この現実のドキュメントとフィクションの混淆はさすがキェシロフスキだなと思うし、「青」や「白」の登場人物も現れ、「救出」されることは希望の光な気がする。

気がかりなのはヴァランティーヌとジョゼフの視線の不一致だ。ショットの連鎖と言えども、彼女の横顔とジョゼフの窓から眺める顔は明らかに対面するよう向かれていない。それには未来の危うさを予感させてしまう。

彼女の視線の先にはどんな秘密があるのだろうか。
しかし暴くのではなく、打ち明けてもらうのがジョゼフの役目である。

追記
ファッションショー後の二人の会話のシーンが凄い。ここでジョゼフが秘密の全てを打ち明けるのだが、会話の途中でショー会場のおっさんが会話を遮る。しかも清掃員の女性がどこか聞き出す取るに足らないことでである。この遮りをシーンに組み込もうとするのはかなり挑戦的だと思う。重要な会話なのだから、そのまま一連で会話させてよいだろうし、この遮りはシーンを崩壊させる危うさがある。しかしちゃんと大事なシーンになっていて、いいアクセントになっている。キェシロフスキ監督は天才だ。

2
扉以外にも、「産み」も三部作に共通して語られるモチーフになっている。「青」は産みの恐怖と身代わりの祝福。「白」は産みの不能さ。「赤」は他人ー犬だけどーの産みの喜びに見て取れるように、あかるい未来の兆し。そのような印象を受ける。

3
本作に登場するインテリア、ヴァランティーヌがモデルとなった広告、ボウリングやショーなど赤がやはり象徴的にかつ鮮やかに登場するが、黒も効果的に使用されている。例えば写真家の男と親密になろうとする時の闇、ショー後の会話で飲む黒いお酒など。それは秘密の暗部のように思えるし、床の反射光や間接照明、カメラのフラッシュなど光を物語にもたらすことにも繋がっている。