怨念大納言

アメリカン・ビューティーの怨念大納言のネタバレレビュー・内容・結末

アメリカン・ビューティー(1999年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

まず、最初に思い浮かんだのは堕落論。
戦争という大いなる破壊によって、人間は元来堕落するという本性を暴露すると共に、戦争により作られた美しさが虚構である事も暴き出す。

ハリボテの美の危うさは、日米問わないのだろう。

また、安吾は「日本文化私観」では「美は、特に美を意識してなされたところからは生まれてこない。」と語っている。

坂口安吾の美意識が本作に近いかどうかはともかく、美が人生において重大な意味を持つ事は間違いない。

本作は、平凡なアメリカの家族の崩壊を描くのであって、堕落論に比べると小規模である。
崩壊の引き金も、戦争ではなく二人のティーンエイジャーだった。

真面目な男が美少女に狂わされる話…。
あ、痴人の愛!
あれを読めばお分かりだろう。女性の持つ魔性に、男はどうしようもなく弱い。

家族という集団。
父親という属性。
会社という集団。
社員という属性。
アメリカという集団。
アメリカ人という属性。

属性によって秩序だった上っ面の美しさは、どうしようもない鬱屈を内面に閉じ込める。
その鬱屈に、主人公は「朝のオ◯ニーが一番幸せ」と断言し、美少女との出会いによる属性からの解放を「20年の昏睡から醒めたよう」と語る。「ずっと死んでいた」とも言っていたかな?

秩序による窒息の寸前で、主人公はアンジェラという美と出会い、そしてリッキーという自由と出会う。
余談だが、リッキーとの会話で「死霊のしたたり」が出てきたのにはニヤけてしまいました。

本来、世界には美しい物で溢れているし、人間は自由に生きられる。
そこに気付いてからは、主人公は会社への望まぬ隷従を捨て、最も責任の少ない仕事として思い付いたハンバーガーショップのバイトへ。家族との衝突も恐れなくなり、怖い奥さんと生意気な娘へも言いたい事をバシっと言う。欲しい車も買う。
そもそも、この映画は主人公の死を宣言してから始まるのであって、これらの放埒が破滅にどう結び付くのかと、非常にハラハラさせられる。

と、思わせておいて奥さんとはいい感じになりかけたりもする。
本音での会話は、車の言い合いのあの場面のみであろう。
属性から離れた、恋人同士のような会話。
そこで名台詞「これは物だ、人生じゃない」も飛び出す。

物語終盤では、ある夜連鎖的崩壊により悲劇へと転落する。

秩序の鬱屈、逃れられない虚栄の苦しみにもがいていたのは主人公だけではなかった。
成功と自己啓発にとりつかれたキャロライン、見栄と個性に支配されて嘘を付き続けましたアンジェラ、最も規律を重んじながら同性愛者であるフランク。
レスターが秩序から脱出したのを皮切りに、各々が鬱屈を暴走させ、レスターの死という結論に至る。
キャロラインが銃を持つというミスリードも心憎い。

堕落論を引き合いに出したが、アメリカンビューティーに「堕落せよ」とまで言われている気はしない。
ラストの台詞がそうだろう。
世界はそもそも美しい物に溢れていて、属性を離れ自分らしくありさえすれば、全ての過去に感謝が出来る。
いがみ合っていた家族にさえ、感謝と慈しみが生まれる。

アメリカに馴染みのない私は、アメリカへの皮肉としての本作が好きな訳ではないが、より普遍的な、美の有り様の提示において、名作たりえる迫力を感じることが出来ました。
怨念大納言

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