Foufou

ボルベール <帰郷>のFoufouのレビュー・感想・評価

ボルベール <帰郷>(2006年製作の映画)
5.0
東風の強いラ・マンチャが舞台。冒頭、風の中で色とりどりに着飾った女たちが歌いながら墓石を洗うシーンから始まる。この土地では、生前に自分の墓を掃除する風習があるという。

のっけから息を飲むシーンの美しさ。墓石に刻印された文字に針葉樹の葉がたまって、それをペネロペ・クルスがサッと布で吹き払う。「お母さんは幸せだった。お父さんの胸に抱かれて死んだのだから」「でも、火事で死んだのよ。幸せだなんて」と姉。ひりつくような女たちの内奥のほむらがちらり。

もう、さすがなんです。

こんな脚本、よく思いついたな、とほとほと感心します。テンポについては、『トークトゥハー』より2段階くらい早い。ただ、先の墓掃除のシーンにしかり、貧困層のペネロペが1日を馬車馬のように働くモンタージュにしかり、非力な女たちが冷蔵庫をエレベーターに運び入れるシーンにしかり…おざなりに撮らないからこそ、物語は小気味よく進んで深みを増していく。

ラ・マンチャの風に狂わされて、幽霊譚あり、殺人あり、束の間の群像、燃えるようなボルベールの歌声が夜の空気をわななかせ、幽霊は泣いて、笑って、そして死にゆく者としての私たちの悲しみが、帳のように降りてくる。

「何しに来たのよ」と姉。「おしっこよ」とペネロペ。「配管工が来てるのよ」「何言ってんのよ、上がるわよ」そう言ってペネロペは姉の制止を振り切ってバスルームへ。ここからは横のカット、サッとペネロペが脱いだのは黒の下着、丸まって膝上に引っかかり、でっぷりとした尻を便座に落ち着けて息をつく。と、排尿の音がして…。女性のトイレのシーンといえば、大胆にも股を紙で拭った『アイズワイドシャット』のニコール・キッドマンだが、ペネロペの排尿は官能的でありそれ以上に生活感というか生命力に溢れている。で、不意に異変に気づいて、鼻をクンクンし始める。神妙な顔つきで、部屋を徘徊するペネロペ、「なんなのよ」と姉、「お母さんのオナラの匂いがする」「え?」「ほら、ここも」と、寝室を開けると、そこには傷心の娘がベッドに腰掛けてテレビを観ているのだが、「へんね、お母さんのオナラの匂いがするのよ」とペネロペ=ライムンダはいたって大真面目。すると、堪えきれず姉が大笑い。ペネロペも娘もつられて大笑い。そして、クローゼットに隠れている母親までもが涙を浮かべて大笑い。それをかき消そうとさらに姉が笑いを振り絞り…。こちらも大笑いで、泣かされます。まさかおしっことオナラで泣かされるとは。

ペネロペを愛した叔母の末期の世話をした、幼なじみのアウグスティーナという女性が後半効いてくる。末期癌を宣告され、せめて死ぬ前に失踪した自分の母が生きているかどうかを確かめたいと奔走する。テレビショーに出演してまで母のことを世間に訴えようとする。ヒッピーだった母を敬慕する彼女。ところがヒッピーという言葉を口にするたびに客席から上がるブーイング。心挫かれて途中退出するアウグスティーナ。なんか、もう切なくて切なくて…。陰影の濃い、素晴らしい女優です。

生きていくうちに誰しも罪を犯す。死ぬ前にやり残したことがあると思うなら、それはもう、自分でなんとかするほかない。「じゃあ、なんでお母さんは、ずっと隠れていなかったの?」「そりゃ、孤独に耐えられなかったからよ」

「もっとあなたと話したい」「大丈夫。時間はたくさんあるわ」そしてナイトテーブルの明かりは消され、それぞれの眠りへ女たちは戻っていく。銘々の寝息の底に、潮騒がする。

そしてラ・マンチャの風。
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