レオピン

遊びの時間は終らないのレオピンのレビュー・感想・評価

遊びの時間は終らない(1991年製作の映画)
3.5
今だからこそ面白いかも

とある地方の平和な町の信用組合で行われた模擬訓練が、一人異様になり切る巡査のせいでおかしな方向へ。彼はマスコミを通じて一躍時のヒーローとなっていく。

訓練はいつ終わるのか 終わらせられるのか もしかしたら延々と続くのでは
終盤でしびれを切らした狙撃隊員(モロ師岡)がとうとう実弾を発射。ある意味観客の代わりだが、ここで実際に流血を見せるのが今の時代のリアル。半笑いで遊び気分で議事堂に突入したら本当に撃ってきやがったぞって。ポスト・トゥルースの時代、この作品はまだまだ終わらない。

リアルとバーチャルの境界線
デマゴーグ インフォウォーズ 設定マウント 
あそこじゃルールメイキングは全てあのディレクターが握っていた。絶大な力。今やあの萩原流行しか持ち得なかった力を名もなき一般人が持てるようになってしまった。

ヒラタさーんと、もつくんに声援を送る野次馬。SNS時代の人間にとって夢から出さそうとする輩も、夢の世界を台無しにする輩もみんな攻撃対象だ。

最近、撮り鉄の青年が乗務員に真剣に怒られている動画を見たが、
真剣に怒ってくれる存在というのは何より大事なのだよ

91年というとおたくという言葉が一般に広がってきた頃だが、まだ宅八郎イメージというかどこか日陰者で、何かを徹底的に追及するというような正の側面は顧みられなかった。平田はとことん融通がきかない、のめり込む男。一方見物人からは、訓練を真面目にやっているのは平田巡査だけじゃないか、みんな不真面目だと罵られる。マジメにやれー

彼の性格はきっちりしいなのか。邪魔するものが許せない。本木の思いつめ顔は半端じゃなかったが『226』の青年将校と同じに見えるのがおかしい。局所にこだわるのと、観念で思考を膨らませるということは外形的には同じなのだ。

『狼たちの午後』では警察の暴力に対しての民衆の怒りがあったが(アッティカ暴動)、あの町の大衆たちの怒りというのはなんなのか。騒ぎの火種となるようなうっすらとした何かがあったのだろう。

立て篭もりものでは人質をとって出てくるところが大きなポイントだが、すんなりヘリに乗り込み飛び立ってしまった。ヘリは飛ばないという「設定」で強制終了するのかなと思ったが。だって外国へなんか行けないしな。チベットって。そもそも模擬訓練の「設定」にどこまでつき合ってあげるのかがこの話のミソというかウソ。

誰も終わらすことができない 熱狂をおさえこむことができない ハイそこまでと言えない
ゲームを終わらそうという動きに真っ向から反対の声をあげるパンピーたち。警ら課の平田の上司でさえ。訓練を終わらせられるのは今や視聴者の声のみ。どこまでも世論が支配する。

一番批評的な所は、政界への転身を目論んでいる警察本部長(草薙幸二郎)が、ディレクターの声に負け撃たれたことを認め退場するシーン。バキューンという口音でも弾はそれたと言って認めなかったが、そんなルールを守らない、有権者を馬鹿にするような人間が選挙に勝てるとでも思っているのかー、と結局妥協してしまう。

情報を一手に握るマスコミはわざわざ「空気」という名札をぶら下げて中継を行う。平田巡査の実家まで押しかけていき、リポーターは部屋のクローゼットを開ける。観客はメディアスクラムの共犯者。空気を作っているのは一体何か。。

「死体」役のキャリア組の若い警部補の差別発言を詫びる会見もなんだか今時のニュースっぽい。女子行員に「レイプ」札、そして三十路コール。あれなんかもデジタルタトゥーなんかに通じる。公務員のふるまいがSNS上で何かと指弾されるというのはナイーブな問題だ。

ラスト、ヘリで飛び立った後の空撮からのエンドロールに『ザ・クレイジーズ/細菌兵器の恐怖』を思い出した。地上の人たちはみな虚ろな目で空を見上げている。

遊びの時間は終わらない 地上は果てなく続く餓鬼の世界と化していた


⇒韓流リメイクの方も見てみたい
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