賽の河原

タクシードライバーの賽の河原のレビュー・感想・評価

タクシードライバー(1976年製作の映画)
3.6
ポストベトナム戦争を題材にした歴史家としての映画作家スコセッシの傑作と言えるんじゃないでしょうか。
ベトナム戦争帰りの主人公トラビスの狂気と孤独。大統領候補の事務所で働く女を口説く口上なんて、女の口説き方の教科書的に素晴らしいですね。「ここではないどこか」をお前は探しているんだろ?っていう。それでいて誘った映画がポルノっぽいヤバい映画でふられる。どこか欠落した狂気が滲み出てますよね。ふられた後の振る舞いなんかも完全に狂人のアレ。
常軌を逸したベクトルは14歳の娼婦役のジョディーフォスターに向かう。このクソガキもその周り全ても完全に壊れちゃってる。ベトナム戦争後のアメリカはどうなっちまってるのか。主人公はそんな薄汚れたアメリカを綺麗さっぱり洗い流して欲しいと切望する。しかしそれに対する政治も地に足が着いてない。大統領候補はその主人公トラビスの切望にバツの悪い表情をする、この演出。もはや政治もトラビスの味方ではない。
孤独を深める主人公はあることをしようとするが失敗、場当たり的に他の行動を起こし、その行動は社会に評価される。行動を起こした後の建物の外、「何が起きたのか?」と野次馬が集まる。彼らにはこの事件の本質は見えないけれど、観客にはこの事象が「起こるべくして起こった」ということがありありと伝わるコントラストの鮮やかさ。
しかし、ラストシーン。タクシーのミラーに映る主人公の目には確実にある狂気の光が刹那的に映っている。
この狂気は一体どこへ向かうのか。という深い問題提起。同時代で観たらシビれた映画だろうなあ。
賽の河原

賽の河原