このレビューはネタバレを含みます
ベトナム帰還兵で不眠症のトラヴィス。
鏡ごしのカメラ視点や、ネオンの光、ムードな音楽などが、そんなトラヴィスの頭のふわふわ感をよく演出したいた。
トラヴィスは、はっきり言って現代社会に(当時は70年代だがそれにしても)通用する能力を何も持っていない。
恋した女性や、偶然乗車した大統領候補などとの会話では、自身の無知と矛盾を隠しきれない。
何か理由を聞かれると、「なんとなく」などといって誤魔化してばかり。
挙句、初デートでポルノ映画という、著しく共感性を欠いた行動。
資本主義→貧富の差
民主主義→少数派の排除
どんな価値観にも裏表がある。
自己の存在を確立することの難しさ。
自己を確立できないことの危うさ。
この時代において、また現代においてもなお、こうした問題は存在していると思う。
トラヴィスは、この世界でまともに生きていくのは不可能な人間だ。
私の勝手な解釈だが、本作のラストもやっぱり夢なんじゃないのかな?
普通あんなうまくいくかな?
アイリスが更生した?
トラヴィスがヒーロー?
べツィが再び乗車?
そして家まで送ってやった?
これ、全部トラヴィスの願望でしょ。
彼がしたことは結局、大統領の間近まで行きながら、未遂で帰ってきてしまい、持て余した情熱を、自分でも戦える相手(スポーツ)に変更したに過ぎない。
そしてそこで撃たれて死んだ。
アイリスは、あんな間近で殺人現場に居合わせてしまったんだ。そんな簡単にトラウマは消えないよ。
しばらく更生なんてできないはず。
べツィは、トラヴィスのことなんか覚えていない。
結局、彼は何もなし得なかった。
そして何もなし得なかったこと、自分が何者でもないことに最後まで気が付かなかった。
トラヴィスだけじゃない。
だいたいみんなそうなのかも。
私は本作を夢オチ(天国オチ)のバッドエンドと解釈しました。
まあ監督はそんなこと言ってないけども。別に自由に解釈したっていいはず。
SNSやYouTubeが浸透し、誰もが発信者になった。誰もが華やかな世界へ、旅立つことができる。
しかし、大きな目でみれば、誰もが埋没者であることに変わりはないのかもしれない。
華やかな世界のダークサイド。
本作の教訓。
我々がトラヴィスにならないためには、まず、この世界で自己を確立するしかない。
しっかり勉強して本を読み、いい映画を見る。
そして地面に根を張って生きるのだ。
公開:1976年
監督:マーティン・スコセッシ(『キング・オブ・コメディ』『ディパーテッド』)
音楽:バーナード・ハーマン
出演:ロバート・デ・ニーロ、ジョディ・フォスター
受賞:アメリカ国立フィルム登録簿記録作品、カンヌ国際映画祭パルム・ドールほか。