「どうしてこう親の言うこと聞かねぇんだろうなぁ」
「だって嘘つくのやだもん!先生だって、悪いことだって言ったよ?」
「先生なんかに人のうちのことがわかっかい!」
「かあちゃんほんとに死んでやっから!そうすりゃあ父ちゃんだってかあちゃんのありがたみわかるんだ!ちきしょおお!」
「払うもんは誰だってキチンと払いたいよ」
ああ。泣いた。
いい作品だったわぁ。どうしようもない親だなぁ。だけど、いい家族だわ。
昭和36年、1961年に作られた映画 私の両親が生まれた年
昭和24年、1949年の東京 下町が舞台。
私が少し前まで住んでた地域が舞台(なんなら一家が住んでるところは超近所)で、ビックリした笑
親が生まれる10年前の日本は、こんなに貧しかったのか。江戸時代かと思うぐらいの慎ましい暮らし
でもそうだよな、終戦から4年後の設定だもの。まだまだ復興なんて遠い、今日の暮らしが精一杯な市井の人々。
豊田由五郎はブリキ職人。お人好しで小心者の彼を内職で支えるのは、肝っ玉女房のお雪。
娘の正子(あだ名はマー子)は利発で足が速い。息子の稔はまだ幼いが口が達者。
彼ら豊田一家の悲喜交々を描いた一作。
一家の大黒柱 由五郎、見てるこっちが情けなくなるぐらい生活力がない。仕事には真面目に取り組み、夜も明けぬ中、往復8里(32km…!)を自転車漕いで仕事に行くものの、行く先々で賃金の不払いに遭い、おまけに雇い主からもらった小遣いを酒に使ってしまう。
何ヶ月も給料無しで一家4人が暮らせるわけもなく、どうにもならなくなり、お雪は小学生の娘に一人でお金を借りに行かせる始末。
「父親が怪我をして働けない」と嘘をついてまで借りるお金
親切にお金を貸してくれる人の前で、居た堪れなくなって泣いてしまう正子
嘘をついてまでお金を借りたくないと突っぱねた正子、お金を巡って由五郎とお雪が喧嘩するシーンで、お雪が正子に「お前があの時お金を借りてれば」と。。
あんた、そりゃないよって思っちゃった
けど……そうしなきゃホントに死んじゃうもんね。。
そんな由五郎にお雪、根が良い人なのは間違い無くて、病気に伏せた隣家の女房をお雪は夜通し看病し、
その女房が遂に亡くなり、亭主と幼い息子が家を出て行く際には、由五郎は弁当を持たせてやる。自分達が食うにも困ってるのに、そうゆうのは忘れない。それが人情。
料金払えず電気は止められ、家賃も払えず一家は夜逃げする
引越しは昼間にするだけじゃないのよ
と明るく言うお雪
家を失いお先真っ暗な一家
ブリキ職人という肩書きにこだわり、食うための仕事には否定的だった由五郎
そんな彼の意識を変え、家族一丸となってまた頑張ろう、という気持ちにさせてくれたのは、「家族」という存在と、お雪の言葉
「人になんて、どう見られたってかまいやしないよ」頼もしすぎるお雪の存在
だから大事にしてほしい
互いに「とうちゃん」「かあちゃん」と呼び合う関係性
貧しいってのは、ヤダね
と管巻くだけではなく、しゃかりきに働く
礼儀知らずでぶっきらぼうな父親のこと、良くも悪くも世間体を気にしない母親のことを、少し恥ずかしいと思ってる節のあったマー子
でも、きっといつか、そんな両親に感謝する
親のありがたみは、大人になってわかる
ああ、明日からも頑張ろう
そう思える納得のラストシーン
お金は大事
だけど、たとえ腐るほどお金があっても、憎まれ口叩き合いながら笑い合って芋や饅頭を食べれる家族がいなくちゃぁ
難しく考えちゃダメ
素直に受け入れます、あのラスト