劇場にて再見。原作の知名度やデス・ゲームものの元祖といった点から時代の徒花として扱われがちだが、過小評価されていると確信。八十年代以降の深作らしい、ピントのズレた若作りが終始痛々しく、何ならそこら辺の新人監督が勢いに任せて撮った一作だと言われても信じかねない危なっかしさに満ち満ちている。深作もエヴァの磁場からは逃れられなかったのだ。しかし二十年経ってもなお「この国はすっかりダメになってしまいました!」と中学生に殺し合いを強要する大嘘の強度は古びていない。教師・キタノが生徒からはナめられ家庭では蔑まれている「弱男」(よわおとこ)として造形されていることに注目したい。自作でも披露していた画伯な一枚絵から窺えるのは、唯一無二のJK美少女ちゃんだけが俺を救ってくれるという身勝手で卑小な自我だ。挙げ句の果てには心中を仄めかしながら拳銃を突き付けこう囁く。「頑張れ」と。七原の父親が息子に遺した呪詛と同じだ。今風に解釈すれば例の「そのままの君でいいんだよ」とか「逃げてもいいんだよ」といった類の文句に相当する。子供に何を伝えたらいいのか分からない無責任な「大人」の甘言。対して還暦をとうに過ぎたジジイはただ一言、「走れ!」とラストショットで画面にデカデカと映しこの世を去った。「だからみんな、死んでしまえばいいのに……」「生きろ。」「頼まれなくたって、生きてやる!」「戦って、死ね。」。新世紀を生きる為のアジに溢れた時代だったが、戦中を生きた深作欣二こそが最もピュアなメッセージを愚直に投げかけた事実に感動せざるを得ない。大人の権威が完全に失墜した世界を予見した『オトナ帝国』と並べて語られるべき広い射程を持った、いつ観ても普遍性を保つ傑作だとあえて断言する。