ガンビー教授

汚名のガンビー教授のレビュー・感想・評価

汚名(1946年製作の映画)
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イングリッド・バーグマンのはっきりと角度のついた眉毛と眼差しの力強さがまずは何よりも素晴らしい。能動的に動き、事態の核心へ迫っていくいかにもヒッチコック映画の女性という感じ。

そんな彼女がケイリー・グラントと恋愛関係になっていき気を許してからの彼に向ける眼差しもゾクゾクッと来るものがあるが、彼らが部屋で二人きりのとき、一方的に女性から問いかける形で交わされる会話は、恋愛のことについて語っているようで彼の本心(本当の正体)を暴き立てようとする攻防でもあり、ここでの彼女はまさしくスパイのような立ち振る舞いをしているように見える。こういう倒錯は全編を支配していて、イングリッド・バーグマンがとある男の屋敷に潜入してスパイ活動を初めてからは、嫉妬深い男とその目を盗んで行われる主役二人のあいだの恋愛がスパイ活動の形を取って行われる、という風に、自分の正体を表向き偽った登場人物たちによるストーリーラインが、かならず裏と表の二重の意味を持ちながら絡み合って進行する、という構造を見せる。

だから全編にわたって行われているのは表向きただの潜入捜査サスペンスなのだけど、ラブロマンスが展開したり、三角関係から生みだされる嫉妬とか、あるいはマザーコンプレックス(強い母)の影響、新しい花嫁と姑の微妙な関係であるとか、そういう人間の深層心理の模様をところどころに読み取っていくことが出来る。これはめちゃくちゃ上手い人が撮っているから可能な作劇であって、舌を巻く。

白眉はやはりパーティーの場面。鍵を巡るサスペンスもその一部だけど、複数の視点と思惑が絡みながら、かつそれら全てに裏表二重の意図が浮かび上がる様をカメラでさばききる手腕は圧巻。

技法としてトリッキーなことをしながらそれが映画の中で全く浮いておらず、的確に効果を発揮するのもヒッチコック節。大胆な時間省略、部屋の中を歩く主役二人の後頭部にぴたっと貼り付いたまま綺麗に追っていくカメラ、俯瞰で人々を収めた画面から主要女優の手に握られた鍵に迫っていくズーム、わざわざ巨大なレプリカを作って撮ったというコーヒーカップのショット、目の前が歪むめまいの主観視点ショット……

ヒッチコック作品の特徴として、たとえ殺人でさえどこか「ごっこ」の雰囲気が漂う遊戯性というのが挙げられるように思う。それは俳優が身なりを装って一つの役どころを振る舞ってみせる、映画というものの本質でもあると思うが、これがあるからこそヒッチコック映画というのはどこか優雅な“のどかさ”を備えていて、その意味でまさに「らしい」1作。

最後の幕切れに至るまで、本当に見事な映画の手腕を堪能できる作品だった。
ガンビー教授

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