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ダンボのaのネタバレレビュー・内容・結末

ダンボ(1941年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

・本作はディズニーのアニメーション長編としては4作目に当たるのだが、『ファンタジア』(1940)と『ピノキオ』(1940)が第二次世界大戦の開戦と重なり興行的に不評だったことを受け(戦争反対)、ディズニーアニメの中で最も低予算である81万ドルという非常に厳しい予算の中で制作されたものである。結果的に興行収入は250万ドルを超えることとなり、これは前二作を足し合わせたよりもはるかに上回る数字になった。


・本作の最大の見どころは、なんといっても終始可愛すぎるダンボのパタパタした動きにある。実はダンボの愛らしさについても経緯があって、監督のベン・シャープスティーンが先の理由から、本作を予算の抑えたシンプルな映画にするよう命じたとき、制作現場ではやむを得ずキャラクターやアニメーションそのものを、なるべく線の少ないタッチで描くことになった(例えば本作の背景は水彩画になっているが、これも油脂より画材が安いという理由からの採用で、水彩を用いた作品は本作と『白雪姫』(1937)しかない)。しかし、ダンボの作画監督やアニメーターは、背景やディテールに使う分の労力をキャラクターの緻密な動きに注ぎ込むことができ、それによりめちゃくちゃキュートなダンボ像が出来がったらしい!本当に異常なほど可愛い。


・本作の人気を経て、アメリカの『TIME』誌の「今年の顔(哺乳類)」として当初はダンボが掲載される予定だったが、丁度公開後に真珠湾攻撃が発生し日米間で戦争状態になったために、ダンボからルーズベルト大統領に差し替えになったそう。つくづく戦争は文化的な営みを滅ぼす。


・アメリカ国内においてサーカスは各地を移動する見せ物興行であり、そこでのサーカスといえばフリークショー(化け物ショー)の存在がつきものだった。そのため、当時のアメリカでは子供への慣用句として「悪い子はサーカスに売っちゃうぞ!」という言葉があり、これは「知らない土地に連れて行かれる」恐怖と「フリーク扱いで晒される」恐怖を二重に表したものだそう。中盤、ダンボが白塗りを施されて、クラウンにすら嘲笑されるのはその中でも最悪な事例で、とても辛い。


・本作のサーカスのモデルになったのは「バーナム&ベイリー・サーカス」というアメリカ最大規模のサーカス集団であるのだが、彼らにももちろんフリークショーがついていた(直近のフリークショーを描いた映画だと『ナイトメア・アリー』(2021)等)。公開当時のフリークショーの記録だと、「ビルマからやってきたキリン首の女性」「口唇に板を埋め込んだ土人」(掲載されたそのままの表現)といった少数民族が事前に拉致または売買され、ゴリラやサイ等の動物達と一列に並べて見せ物として宣伝されていた。本作に出てくるパレードやサーカス列車などについても、かなり忠実に「バーナム&ベイリー・サーカス」を再現したものらしい。


・ダンボのお母さんであるジャンボは、19世紀にスーダンで捕獲されたアフリカゾウの「ジャンボ」がモデルになっており(ジャンボジェットなどの「巨大な」と言う意味はここから作られた単語らしい!)、実在するジャンボは最終的に例の「バーナム&ベイリー・サーカス」に売却されて、アメリカへとやってきた。


・本作でのジャンボは、最初コウノトリの届け物に対して×印のサインをつけるが、これは文盲の人がサインをする典型的なやり方で、このことからダンボ一家の生まれは裕福でなく、マイノリティの環境に近いことを象徴している(公開当時、アメリカの文盲率は白人で2%なのに対し、有色人種で11.5%だった)。さらに、最初のおば象が「F.R.E.A.K.」とわざわざ強調して言い、生まれて間もない子供に「Dumb-o」(バカ息子)という強烈な蔑称を授けることからしても明らかな通り、本作は一言で要約すると、奇形と差別の物語である。


・ダンボは歩くと度々自分の足につまづいて転んでしまうクセがあり、この形状が仇となってサーカスを一度失敗させてしまう。自分の奇形が「足を止める」枷になっていると言うメタファーは本当に見事だったし、その後耳を翼に変えて空を飛ぶことで、本作の結論が「自分のマイノリティ性そのままに空へ飛び立てる」ことに直結しているのも本当に見事(耳を結んだダンボも可愛かったけれど)。


・おば象の一人が怪我をした患部に牛肉を当てているのは「ビーフ包帯」と呼ばれるもので、打ち身や殴られた場所に生のステーキを当てて冷やすという民間療法の一つ(ステーキの血液質な感じが痛みを吸い取る)らしい。

 
・トリップシーンは最高!過去に一度だけ(お酒で)トリップしたことがあるので、体感として非常に説得力のあるサイケ描写になっていた。ここまで”分かる”トリップ描写は映画だと初めて(ちなみにトリップすると、本当に延々とサイケの感覚になる)。個人的には象同士が合体して人型に変形しているところとか、最後雲に戻るところが特にやばい。ただ、ウォルト・ディズニーは試写会でこのシーンを見て憤慨し、生涯このシーンを嫌っていたそう。当時のサイケブームへの乗っかりとはいえ羽振りが良すぎるので確かに賛否はあると思うが、ピンクの象はあと2時間やってくれても全然笑顔で観られる位良い感じだった。


・本作のカラス(Crow)は、1876年から1964年にかけて存在していた「ジム・クロウ法」(黒人のトイレ・バス等一般公衆施設の利用を禁止した法律)を明らかに揶揄する形で存在しており、実際にカラスの大部分は黒人俳優によって声を当てられている(当時はキャスティングすら限られている立場であり、本作の序盤に登場する無数の労働者や、ひいては他の文芸作品一般においても、基本的に黒人には名前すら与えられていなかった)。リーダーの彼のギラついた格好はポン引きを連想させているとも取れる(40年頃から作られた黒人の成金像。薬物の売買や窃盗の幇助、売春の元締め等で儲けることが主流だった)。


・上の扱いを問題視したディズニーは、2020年にディズニー+の子供向けコンテンツ一覧から本作を削除(一般向けには警告文が表示)している。個人的には、現状の対応としては理解できるが、しかし本作に限って、ダンボとカラスや労働者達は、共にマイノリティ性という迫害された者同士でポジティブな関係を結び、協調し合っていることが、非常に分かり易い形で描かれている(労働者はそう歌っているし、カラスは涙しながら共感している)のは見逃せない。彼らの存在が小ネタ程度ではなくここまでしっかりキャラクターとして、しかも同情を寄せる者として描かれたことは、当時のマイノリティ史観では明らかに画期的なことなので、本作の全てが差別的な表現を内包しているという訳では決してないと思う。それはラストで、オバ像達が謝罪を一言もしないのに笑顔で列車に乗っているというはらわたが煮え繰り返りそうなオチを見ても分かることだと思うのだが…。


・ダンボが塔から墜落しかけた瞬間、耳でブワッと飛ぶシーンは、後に『E.T.』で自転車が大空へ舞い上がるシーンにオマージュされている。スピルバーグは本作が大好きで、監督した『1941』と言う映画でも、アメリカの将軍が映画館で『ダンボ』を観て涙する、という場面があったそう。


・総評。ダンボの恐ろしく可愛いアニメーションはいくらでも観ていられます。耳に限ってパタパタと愛らしい動きをする。それとは裏腹に、ストーリーはサイケを起こすまで辛いことばかりなのですが、これは全て彼ではなく外の世界からの一方的な差別であり、味方がマイノリティ側、敵が体制側という点でこの頃から一貫しているのが、まずはディズニーのストーリーテリングの卓越さを痛烈に感じさせられるところです(おば象達がダンボは象ではないと「誓う」場面も素晴らしい)。そして、60分という短い尺ながら、終盤にティモシーがカラスに対しダンボの境遇をはっきりと要約してみせるのも、子供向けとしてこの作品がどこを指向しているのかを簡潔に説明できており、非常に見事です(この点説明しすぎとも取れるらしいのですが、作品性を保持するためだけに主題をあえて分かりにくく設定する作品よりは余程親切なように感じます)。何より最後、自分の奇異な部分を隠したり、サーカスに無理やり迎合したりすることなく、活かすことで超文字通り自由に羽ばたけるようになるダンボの姿は、本当に元気をもらえます。確かに他のディズニー作品の中でも画面の動きが少ないですが、なのにここまで明快で現代にも通底する物語を描けるディズニーに脱帽です。丁度同じ年、太平洋戦争の相手国が天皇を神として崇拝し、人を駒にした突撃作戦を展開していたとはとても思えないほどの文化資本の差に、改めて唖然とさせられます。


・今後ディズニーに行くことがあれば、私は真っ先にダンボに乗りに行くでしょう。それくらい、自分の翼で飛ぶダンボに対し熱い思いを馳せる映画でした。毎日自分の意思で懸命に努力できる所が大好きです。ダンボよ、今日も飛んでくれてありがとう。
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