レオピン

サムライのレオピンのレビュー・感想・評価

サムライ(1967年製作の映画)
4.5
香港映画から仏ノワールを辿っていったおいらとしては、メルヴィルのこの作品は大師匠の作品。『狼/男たちの挽歌・最終章』ではサリー・イップ演じる歌手がヒロインだったが、こちらはピアニスト。

極端なまでに台詞が少ない。ドロンがメルヴィルのオファーを引き受けたのもそれが一番の理由。この沈黙がかっこいい。みな仕事人、職人タイプ。

代わりに人物の動作、目の動きといった微細なアクションで感情を伝える。シトロエンをまるで下駄か自転車のように雑に乗りこなす。昔は刑事ドラマでも町でもああいう荒っぽい乗り方をよく見た。シートに座るのとアクセルを踏むのが同時だ。

冒頭の車泥棒のシーン。最後にもう一回出てくるが、合鍵の束を一つずつたぐり寄せイグニッションキーに入れていく。上半身はまったく動かさずまっすぐ前を見つめ、手元だけ。

ほかにも手元だけの芝居が非常に多い。腕を負傷して部屋で自分で手当てをするのだが、この時も片腕で器用に着替えたりする。

あのジェフの部屋は住みたくなる。手頃に狭くてミニマリスト向け。台所のすぐ隣りにバスタブがあってクローゼットの上にエビアンの水を置いていた。タバコはジタン。

メトロの尾行では刑事ではなく一見ただのおばさんが行確についていた。雇われたのだろうか、それとも本職だろうか。

こんな地味キャスティングや全体のミニマリズムが北野作品を思わせる。但しこちらはグレーが多め。すみずみまでグレー、少しブルー。カラーコーディネートは行き届いている。メトロをモグモグしながら尾行する女刑事のスカートまで。足を組んだ時にコートの下が一瞬だけ映る。やっぱり青。芸が細かい。

指揮をとる警部は女の部屋にがさ入れをかける。取引を持ちかけるが彼女は応じない。あえなく退散する。普通とは違う、ジェフに搦めては通じないと悟ったのか。

部屋に潜んでいた殺し屋の金髪男。黒幕はピアニストの情夫だった。ヴァレリー殺害の逆依頼を受け、密かに決意を固める。

ジェフの表情からは一切何も読みとれない。だがピアニストと向かい合った時だけ、かすかに瞳に感情が宿る。

これが彼なりの責任の取り方。ジェフなりの切腹、武士道だ。

部長刑事にフランソワ・ペリエ
ピアニストにカティ・ロジェ 瞳がきれい
娼婦に『個人教授』のナタリー・ドロン

やはり特筆したいのは、車屋でのナンバープレートをつけかえるシーン、
刑事二人が盗聴器をしかけるシーン、メトロで尾行の網の目から逃れるシーン
これら一連のシーンには映画の時間が流れている。没入度が群を抜いている。ここに映画編集というものの秘密が隠されている。

ジェフは職人のような姿勢で仕事にのぞむ。そんな彼の運命を狂わせたものは何なのか。ヴァレリーと鉢合わせになったこと以外に何かがあるだろう。カナリアだけが知っている。

⇒撮影:アンリ・ドカエ
レオピン

レオピン