真田ピロシキ

機動戦士ガンダム F91の真田ピロシキのレビュー・感想・評価

機動戦士ガンダム F91(1991年製作の映画)
3.4
SiriがセシリーをHey Siriと誤認識するのでこのアニメを聞かせたらどうなるかなと思いiPadをTVの前に置いて再生。結果、セシリーが名前を呼ばれると稀に反応してました。稀にしか反応しないのでベラ・ロナの方がSiriはお好みらしい。いけすかねー貴族主義の奴だったか。所詮機械だ。その内バグをばら撒いて人類を抹殺する気に違いない。

さてこのアニメは多分初めて見たガンダムなので結構思い入れがあります。劇場版ガンダム10周年記念作品として、逆襲のシャアでアムロとシャアの戦いに終止符を打ってからの新章の幕開けとなる作品ですが、クロスボーンバンガードがコロニーに侵入して戦いの火蓋が上がり、結構な描写をシーブックら避難民に費やしているところからもファーストガンダムを踏襲する。それは良いのだけれど、本作の30年ほど前にアムロがあれだけの奇跡を起こして人の可能性を見せたはずなのにニュータイプの概念は「パイロット適性のある人」という風に忘れ去られ、相も変わらずアースノイドとスペースノイドの断絶は続いていますじゃ逆シャアの話は何なのさってなる。もちろん1人の人間が偉業を成し遂げたからって安易に世界が変わりはしないが、変化の兆候すら芽生えてないのは結局のところ飯の種のガンダム君には終わる事なくトラブルを抱え込んでくれという果てしない商業主義を露骨に感じる。この後富野監督は嫌がらせのように悪趣味なVガンダムを作ることになるのだが、色々な意味で本作にはその萌芽が見える気がする。鉄仮面の人類抹殺計画をアップデートしたのが地球クリーン作戦でしょう?それと記憶してたよりも酷かったのは連邦軍の腐敗振りで、弱いのは元より民間人の近くで戦闘するわ子供を盾にしようとするなど上から下までどうしようもない。まともなのがレアリー艦長代行とビルギット他僅かくらいしかいない有様。私はガンダム界隈のジオンを過剰に持ち上げる風潮がとても気持ち悪いのだけれど(あんな大日本帝国とナチスのハイブリッドなど嫌悪感しかないわ)、ファーストガンダムではまだ一応ジオンを悪役にしてた富野監督が率先して正義の相対化してたのにはガッカリ。

本作はガンダムと言うか富野アニメにしては珍しく主人公の親子関係がまとも。シーブックの父レズリーなど倫理観がまともな上に親子のコミュニケーションも取れてて富野アニメの親ランキングトップクラスに位置する真人間。フランクリン・ビダンとかいうドクズは転生してレズリーさんに弟子入りした方が良い。母親のモニカはちょっと良くないがそれでもテム・レイくらいにはまともである。その代わり酷い親を背負わされているのがセシリー。父親は妻を寝取られて弱さを隠すために鉄仮面を付けた狂った婿養子だし、義父にしたって情けない男。主人公を歪みのない設定にしてもこういう要素を付け足さずにはいられないのが当時の御大らしさと言うか。今になって振り返るとやはり黒富野時期の兆候が伺える作品だ。

戦闘シーンは未だにジェガンが主力な連邦軍はともかくとして新時代のクロスボーンMS登場でさぞかし派手かなと思いきや、装甲車で地味に応戦したりそもそも戦闘が他作品と違って小規模なせいか大人しい印象を受ける。小型化設定もあまり旧来のMSと比較されるカットがないから実感に乏しく。流石にF91がラフレシアを質量を持った残像で撃破する所は見栄えが良いが正直この映画よりゲームの印象が強かった。印象に残る機体はビルギットのヘビーガンでそこそこ自力でクロスボーンを落とせてるし、シーブックの力量を把握して自身は囮に周り的確に指示を出すビルギットの男前さもあり格好いい。最初F91に誰を乗せるかで揉めてたが普通にビルギットで良かったのでは。まぁそれだとやはりバグを攻略できなくて死ぬんだろうけど。

この映画は本来序章にしか過ぎずTVシリーズが作られるはずだったのだけれど実現しなかった。閃光のハサウェイまで映画化するくらいネタ切れならそろそろこれの続編やってもいいんですよ?え、クロスボーンガンダムですか?あれはデザインとかがちょっと個人的に…あのザビーネと本作のザビーネは別の宇宙の存在だと思いたい。