マルデライオン

スワロウテイルのマルデライオンのレビュー・感想・評価

スワロウテイル(1996年製作の映画)
4.4
価値がどこにあるか分からなくなった世界で、心を探し続ける人たちの話。

温かい。血だらけになっても、泥まみれになっても、夢破れても、最後に温かさが残る。charaの歌。


       *


グリコにとって、歌は「すべて」。
"あおぞら"で歌うグリコも、ライブハウスで歌うグリコも輝いている。
フェイホンはその姿を、いつもうっとりと愛おしそうに見つめている。

"あおぞら"も、イェンタウンバンドも、フェイホンも、中国国籍も、全部捨ててでも、グリコは歌っていたかった。歌手になることは、彼女の夢だったのだ。そして、彼女が夢を叶えることが、フェイホンの夢だった。

グリコのメジャー契約が決まった日の夜、セックスをする二人は、抱き合って支え合う子供のようにどこかあどけなくて可愛いらしい。彼女の胸元の蝶に、フェイホンが「飛べ、飛べ」とささやく。「パタパタパタ」と言って微笑みながら、胸を寄せて蝶を羽ばたかせるグリコ。

グリコが飛び立つことが、フェイホンの夢なのだ。
強制送還させられることになった彼は一旦解放され、解放を喜んで、大通りを走って横切ろうとする。その道路の中央で、夕方の薄青い空気に包まれたフェイホンはふと目を奪われて立ち止まる。
最初、ここで彼が見たものは明かされず、驚き立ち止まるフェイホンだけが映される。彼が見たものが、イェンタウンバンドの看板だったことが観客に明かされるのは、血だらけのフェイホンが死んでゆく時である。グリコの胸元の蝶の写真が、クレーン車に吊り下げられて空高くのぼっていく。

グリコは飛び立った、とフェイホンは確信しただろう。そして同時に、自分が彼女を失ったことにも気づいただろう。自分が彼女にしてあげられることはもう何もない、と悟ったはずだ。だから解放されてライブハウスに戻ってきた彼は、訪ねてきたグリコのマネージャーに「グリコ?誰だいそれ。憶えてないね。」と言うのだ。彼女から大人しく手切金も貰う。手切金を貰ってグリコを売った悪い奴を演じるのである。
このことを、フェイホンの金への執着の表れと捉える見方もあるかもしれないが、私はそうは思わない。なぜなら、「グリコを売ったのか」と怒ったバンドのメンバーに殴り倒されて金をばら撒かれた彼は、何枚か紙幣を拾って見つめるけれどもその目は虚ろだし、バンドメンバーも他のみんなもいなくなって一人になった彼は金を使う素振りも一切見せずに、ただ酒を飲みながら静かにピアノを弾いているだけだからだ。(ちなみにピアノは、"あおぞら"にいたみんなでゴミの山から金目のものを拾い集めていたとき、金になる目的とは別に、単に欲しくて拾ってきたものだった。軽トラの荷台に載せたピアノの音を聞いて喜ぶみんなは笑っている。フェイホンにとって、きっと大切な思い出なのだ。)
 ではなぜ、彼は悪い奴を演じなければならなかったのか。それは、大切なものを守るためである。うっかり人目に晒すと壊れてしまうような、はかないもの。他人には理解できないもの。


グリコから電話がかかってくると、フェイホンはまた駆け出してゆく。マフィアの子分からは、ランに貰った拳銃(ドリセキ/ドリーム・セキュリティー)を使ってなんとか逃れるが、タクシーの運転手を脅すとなるとどうも上手くいかず、人の良さが出てしまう。せっかく拳銃を持っているのに、運賃を調達しようとして偽札を使い、ちょうどそこに居合わせた警察に捕まってしまうのだ。しかもたまたま、マフィアの返り血で汚れた偽札だったから両替機はそれを読み取ることができず、警察に怪しまれてしまった。

「もしあたしが殺されたら…もうフェイホンに会えないよ」というグリコの言葉が彼を突き動かした。でも欲望を纏った偽札がその行手を阻む。
しかも、フェイホンに拷問する警察官あるいは検察官(?)は、「しらばっくれるなよ。この数日間でおんなじ偽札がわんさか見つかってんだよ。それもお前全部一人でやったってのか?」と言っているのだが、この「わんさか」見つかった偽札というのは、おそらくアゲハが子供たちに命令して使わせたものなのだ。アゲハは、グリコとフェイホンの幸せを、「すべて」をもう一度取り戻したくて、ライブハウスを買い戻すために、子供たちを統率し偽札で資金を調達したのだった。ライブハウスはもう別の人に売ったと言う不動産屋に、無口なアゲハは珍しく声を上げる。「どうして?無理じゃないわよ。お金なら…いっぱいあるじゃない!」やっと金が手に入ったのに大切なものには手が届かないし、ともすればアゲハのこの計画こそが、間接的にフェイホンの命を奪ってしまったかもしれないのだ。その可能性に、テープがマフィアのもので警察に嗅ぎ回られていたことを知らないアゲハも、アゲハがどうやって偽札を利用したのか知らないグリコも、アゲハが偽札を利用していたことそのものを知らないフェイホンも、気づくことはない。この愛情の空回りに気付いているのは、もしかしたらランだけかもしれない。(ランはどんな気持ちで殺し屋をやっているのだろうか。)



この物語全体を通して、本当に大切なものが見えていたのはフェイホンだ。

感情を失ったアゲハは、ママが死んでも少しも悲しそうにしないし、「きみのママなんじゃないのか?」と聞かれても「いいえ、違います。」と答えていた。(葬式のあと、アゲハが木の根元で待つシーンが続く。この点も含めて、彼女は、カミュ『異邦人』のムルソーによく似ている。)しかし後に、ママの死のことを思い出しながら語るとき、アゲハは涙を流す。その話し相手がフェイホンなのだ。

フェイホンの膝は、雨が近づくと痛むらしい。その様子を見てアゲハが「when did your knee go bad?そのひざいつ悪くなったの?」と尋ねる。すると彼は「This? I don't know. Can't remember.これ?さあな。憶えてねえ。」と答えた後、少ししてからちょっと可笑しそうに「It's fateful.運命のしわざだ。」と答え直す。


アゲハ:
fate?
運命?

フェイホン:
TVs, washing machines, even those they get old and break, then they all must die.
テレビも洗濯機もその傘も、みんな古くなって壊れて、しまいにはお釈迦になるのが運命さ

アゲハ:
Though we can fix them, so they can move again, …people…people just die.
でもモノは直したらまた使えるけど、人は…人はただ死ぬだけよ

フェイホン:
and go to heaven.
そして天国に行くんだ

アゲハ:
I don't know.
知らない。
Mama … when she died, she didn't go anywhere. She was broken.
…ママが死んだ時、ママは何処にも行かなかった。ママはただ壊れてた。

フェイホン:
There is really heaven.
天国はあるんだぜ
but nobody ever gets there.
でも誰も辿りつけないのさ
you die, and your spirit rises to the sky, but as soon as it touches the cloud, it turns into rain. So nobody has ever seen heaven.
お前が死んで、その魂は空へ飛んでいく。ところが雲に触れた途端、雨になって落ちるのさ。だから誰も天国なんて見れないんだとさ。


こう語るフェイホンを、アゲハはふと見つめる。「Don't be so serious. I just made that up.マジになんなよ。今作ったのさ。」と冗談っぽく笑うフェイホン。傘を畳みながらアゲハは涙を滲ませる。
アゲハの目から涙が落ちる。すると空からも雨が落ちてくる。そしてフェイホンがこう言うのだ。

「…So, if people end up in heaven, then I guess we're in heaven?
…それで最後に行く場所を天国って言うなら、ここが天国ってわけかい?」

本当に、このシーンは天国のように美しい。
アゲハは、きっと初めて、モノみたいに壊れていたママの白い体のことや、生気を失った美しいガラスのような目のことや、ママの額に触れようとした自分のことをありありと思い出して語ったのだ。それはもしかしたら、ママとの昔の思い出すら呼び覚ましたかもしれない。たしかにアゲハのママは死んだ。壊れた。でもアゲハがママの体や目や温度を思い出しながら語るとき、アゲハの体や心は、ママの香りや声や優しさを感じて震えているかもしれない。まさに今、目の前にママがいるかのように、頭から爪先までママに抱かれているかのように、そっと寄り添ってくれているかのように。
もしそうなら、この短い間だけは、アゲハとフェイホンのあいだに天国が生まれていたのかもしれない。見ている誰もが、降り出した雨をアゲハのママだと思うだろう。きっとママはアゲハのそばにいる。
アゲハはフェイホンに救われ、守られた。



グリコは自分から歌わなかった。いつも誰かに頼まれて歌っていた。"あおぞら"でも歌の途中で切り上げて早々に帰ってしまうし、ライブハウスでバンドの前に立ったときも「歌えないよ〜!!」と恥ずかしそうにしているし、レコード会社で面接しているときもソワソワしていて自信無さげだ。そんなグリコを理解し、いつも勇気づけてくれるのはフェイホンだ。「グリコ、歌えよ!」と背中を押し、不安そうに目線を送る彼女を微笑みながら見つめ返し、まるで自分のことのようにレコード会社のお偉いさんに「おれたちグリコのためなら日本人になります!」と言う。

フェイホンがいなかったらグリコは歌手になれなかった。歌手になった彼女は幸せではなかったかもしれない。桃井かおり演じる記者に「歌は嫌い」と語るとき、彼女はおそらく夢と引き換えに失った大切なもののことを思い出している。
それでも、フェイホンを失ったあともグリコは歌手を続けたのではないだろうか。友達になった記者に協力してもらって、おそらく「娼婦のグリコ」として歌手活動を続けることに成功したのではないか。歌手であれ、"あおぞら"だけの歌姫であれ、グリコが歌うことをやめるとは思えない。フェイホンを失ったことは、むしろ彼女にとって歌う理由になったはずだから。フェイホンの亡骸を迎えて、花冠を編む彼女の口から自然と優しい歌が漏れている。
フェイホンがいなくても、もう彼女は1人で歌える。フェイホンはグリコを救い、守ったのだ。



そんなヒョウ・フェイホンの優しさは、飄々として陽気でふざけた笑顔の奥にひっそりと隠れて目立たない。
頼りなくフラフラしているように見えるけれど、フェイホンは大切なものを守り抜こうとした。My wayは彼の歌なのだ。夢を叶えるには金が必要で、金を集めているうちに人は夢を忘れて、ふと気づくと夢を見失って、ただの紙切れだけが残る。そんな世界のなかでmy wayを貫こうとしたフェイホンが、円都(イェンタウン)にくすぶる憎しみを体に殴りつけられて、死ぬ。優しさが殺される。

アゲハは、彼の優しさに気づいていた。フェイホンの遺体を前にしたとき、彼の存在した証を刻むように、「ヒョウ・フェイホン」、「円都(イェンタウン)」と呟く。
 

       *


グリコはフェイホンに謝ったことはある。でも、まだ「ありがとう」と伝えていなかった。エンディングで流れる「あいのうた」は、たぶん、グリコがフェイホンへ伝え忘れたことであり、フェイホンのようなすべての人へ伝えたいことなのではないか。

Yen town band「あいのうた」
https://youtu.be/9N8H2a_tOo4
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