ぽん

スケアクロウのぽんのネタバレレビュー・内容・結末

スケアクロウ(1973年製作の映画)
4.2

このレビューはネタバレを含みます

冒頭、マックス(ジーン・ハックマン)とライオン(アル・パチーノ)の出会いのシーンからもう、実に映画らしい息遣いに嬉しくなる。ひょこひょこと丘を降りてくるマックスが、不格好に道路へと転げ落ちる。木の陰から見ていたライオンが思わず声をかけるも無視。そして画面奥に長くのびる道路を大男のマックスがスタスタ歩いて行くと、その後ろを背の低いライオンがちょこちょこと付いて行く。マンガみたいなでこぼこコンビ。そんな2人をカメラがロングショットで追う。風がビュービュー吹きすさぶ中、タンブルウィードが手前から奥にコロコロと転がっていく。奥行きのある画(え)と忍耐強いリズム。ライターがつかないマックスにライオンが残り1本のマッチを惜しげもなく差し出し、2人の間に奇妙な友情の火が灯る。

出所したばかりのマックスは再起を賭けて新しい商売を始めるために、ライオンは妻とまだ見ぬ子供に会いに行くために、一緒に旅をすることになるが、粗暴なマックスは行く先々でトラブルを起こす。「寒いから」と言ってボロを何枚も重ね着しているのは、身体が寒いんじゃなくて心が冷え切っているんだと思う。他人を信じられない頑ななハートを粗末な布切れで幾重にも包み、必死で守っているのだ。決して頑丈に覆われてはいない自我は脆く、些細なことで理性を失い攻撃の衝動を抑えられない。一方のライオンは、繊細な心を傷つけられないよう、精一杯の道化で相手と打ち解けようとする。彼が語る“かかし(=スケアクロウ)”の話、かかしは道化によって相手の信頼を得て危機を回避する、というのは彼らしい処世訓だ。そんなどこか卑屈でひ弱な彼の自我は、旅の途中で見舞われた不運、収容所でのひどい暴力によってバランスを崩し始めてしまう。

収容所では子供っぽく意地を張って距離をとっていたために友を守ってやれなかった、その悔恨の思いがマックスの心に変化を起こす。喧嘩騒ぎを起こしかけた酒場で、寸でのところで拳を収めストリップでおどけて窮地を脱したマックス。他人に覗きこまれないよう、踏み込まれないよう、後生大事に守ってきた心を開かんと1枚1枚洋服を脱ぎ捨てていく、不格好な大男の滑稽なダンスに涙が出た。彼はここで古い自分を脱ぎ捨てたのだ。ジーン・ハックマンの無骨な笑顔が眩しい。

マックスが人との繋がりを信じ始め、社会に対して心の扉を開いて出て行こうとしていた時、ライオンは元妻との繋がりを信じで彼女に電話するも拒絶される。妻にしてみれば身重の自分を捨てた無責任な男に一矢報いたということなのか。不安定になっていた彼にはそれが決定打となってしまった。放心したように冷たい噴水の中に入っていくライオン。心理学で水は無意識を現わすが、意識の閾を越えて精神の闇に陥ってしまった比喩とも取れる。彼は心を閉ざし社会から消えんばかりの状態になってしまう。診断した医師が「州立病院に移す」と言うのだが、当時のアメリカはベトナム戦争の帰還兵のPTSDが深刻で、精神病患者が増大して州立病院は軒並み精神病院に転換したというから、そのセリフの意味するところが推し量れる。そんなライオンを助けるためにマックスは開業資金として貯めていた金を、今度は自分の方が惜しげもなく友に捧げようとする。ラストシーンは忘れられない。空港のカウンターでの、この男の無作法でカッコ悪いふるまいったら! 人は変われる・・・そんなメッセージをこの映画から受け取っていたのに、最後にこんな姿を見せられたら、本当に彼はお金を持って帰ってくるのか?もしかしたら気が変わっちゃうんじゃないかと、一抹の不安がよぎってしまう。人は変われる?そんな甘いものか?分からない。分からないけど信じたい。そんな観客の祈るような思いを宙づりにして物語は幕を下ろす。ニューシネマは安心なんかさせてくれない。でも、このツンデレがたまらなく好きだ。
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