いの

少年と自転車のいののネタバレレビュー・内容・結末

少年と自転車(2011年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます



オトナを試す映画でもある。あなたは、少年の里親になった女性サマンサのように、少年を受け入れることができるのか。少年シリルは、父親にいわば“捨てられ”、今、迷走中で、必死に迷走中だから、滅茶苦茶に迷走してるから、あっちにぶつかり、こっちにぶつかりしながら傷だらけになっていて、だから人を傷つけることをも、無自覚にやってしまいそうだ。そんな少年を、まんま、受け入れることができるのか。そう問うている。声高じゃなくて、ささやかに。社会に、個人に、問い掛けている。


女性サマンサは、たまたま出会った少年の、その少年が必死に自分にしがみついてきた時の、そのムギューしてきたときの感覚を、信じているのだろう。自分の感覚を、ちゃんと信じていられる女性。強い。強くて優しい。迷走中の少年を信頼するとはこういうことかと。(信頼される、ということが、少年には何よりも必要だったのかもしれない。愛もそうだけれど。)


ダルデンヌ兄弟監督作品。抑制のきいた演出で、それがかえって、この映画の続きを、各々に、持ち帰らせることにつながっているのだと思う。


このあとも、少年にはおそらく苛酷なことが待っているだろう。このあとも何回も、揺り戻しのようなことが、あるのかもしれない。気に入らないことがあったら、衝動的に、やらかしてしまう可能性だって、ないわけじゃない。でも、きっと大丈夫。大丈夫。そうやって少しずつ、オトナになる。暴走せず、ちゃんと、立ち止まることができるようになる。自転車を走らせて、気持ち良く自転車を走らせて、ブレーキをかけることができるようになる。停まって食べたサンドイッチは美味しい。美味しいことを、もう彼は知っている。サマンサと食べたサンドイッチの美味しさを、彼はもう十分知っている。
いの

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