幻

愛を読むひとの幻のレビュー・感想・評価

愛を読むひと(2008年製作の映画)
4.7
くるしい夢をみた。中学生のころから、ずうっと仲の良かったおんなの子に、ぎこちない笑みを浮かべられちゃって、かわす言葉はすこしずつ少なくなって、そのまんま、疎遠になっちゃう夢。「わたし、なにかしたかなあ。」「なにかしてしまったのなら、あやまりたい。」「自分で気づくことができなくって、ごめんね。」たしかに口をひらいたはずなのに、洩れたのは細くこま切れた吐息だけ。ときおりひゅう、と喉が泣いては彼女が振り向いて、笑いかけてくれるような想像をした。

わたしはあの子がすき、だった。とっても大切で、せかいでいちばんだいすきだった。泣きむしなくせにいじっぱりで、どうしようもないわたしの手をすこしだけ強引にくいっとひきよせて、それでもうまく泣けないときにはいっしょに立ち止まってくれるような、やさしいひと。

保育士さんになったんだって。あなたにぴったりだ。ずうっと目指していたもんね、中学生のときから、ずうっと。わたし、あなたのだいすきなところはたくさんあるけれど、なかでもとびっきりすきなのが、声なんだよ。知ってた?わたし、よくあなたにはわかりやすいって言われてたし、もしかしたら、知ってたかなあ。でも、ううん、きっと知らなかったでしょう。放送委員だったあなたの担当する曜日は、こっそり息をひそめて、みんなの会話には適当な相づちばっかりをして、おだやかに紡ぎ出されるその声色ひとつひとつを楽しみにしていたんだよ。

そんなあなたがある日わたしに一冊の本を差し出して、これ、あげる。って贈ってくれた本、おぼえてる?うつくしい光をぜんぶ吸いこんだみたいに真っ赤な表紙に、銀色で丁寧に描かれたタイトル。なかには宝石のようにきらきらした言葉がぎゅうっと詰まった詩集。「お気にいりのひとつを、おしえて。」無意識のうちにでた言葉だったから、放った直後、読むまえに問いかけてしまったことでかなしませてはいないか、怒らせてはいないだろうかと一瞬のうちに反芻しては後悔したけれど、彼女はそっとわたしのてのひらからふたたび本を受けとって、それから、しずかに息をはいて、ひとつの詩をよみあげた。わたしのだいすきな、すこし低めの、やわらかい声。愛について。まるでうたっているみたいだとおもった。ひそやかに、もし、ふくろうがいとしいわが子へ子守唄をささやくのならきっと、こう唄う。こまやかな気遣いのなか、吐息さえ詩のいちぶだった。

たったいちどきり、ほんの数分間のできごと。けれどたしかに、永遠よりも永かったはずの記憶。この映画を観なければ思い出すことがなかったのかもしれないとおもうと、涙が止まらなくなった。いとしさと、さみしさと、くるしさと、圧倒的な歓び。拝啓、親愛なる波ちゃんへ。どうか、この独白が、届きませんように。
幻