モリユウキ

東京物語のモリユウキのレビュー・感想・評価

東京物語(1953年製作の映画)
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70年近く経とうとも変わらない日本人の本質に、清濁併せてここまで限りなく迫った作品は他にないと私は思う。これからは、国外の友人たちに日本人のことを知るのに最も良い資料として、私はこの「東京物語」を薦めることになるだろう。

歓待の態度を見せつつも、仕事第一で上京した両親をないがしろにしてしまう子供たち、一方で不満を感じていても世話になっている負い目からそれを表には出さない両親、義理の親に親身に尽くすも、実はもう亡夫のことを忘れてきているのだと泣きながら謝る嫁。本作の登場人物は全員、本音と建前を使い分け生きるエゴイストである。

しかしそれと同時に、実子達は観光に連れて行ってやらねばという使命感を持ち、死に目には人目をはばからず涙する心を持ち、ないがしろにされようとやはり孫より子が良いと夫婦は話しあい、そして言わずもがな親身になって両親の世話をみる嫁がおりと、そこに気持ちの多寡はあれ、(旧世代的な)家族としての繋がりも捨てきることができないという人の温かさを全員に同居させている。

まさに他人に気を遣いながらも裏では舌打ちしてしまうが、義理人情を忘れられないという日本人気質を、日本人へ対する皮肉と温かな視点の両面で小津安二郎は描き切っている。
近年でいえば是枝裕和の社会の問題を描きながらもそれを断罪することはしないといった作風には、本作からの影響が色濃く伺え、今でも小津が残した息吹が繋がっているように思える。

技術的な工夫も興味深い。親子間の断絶をじっくりとあぶり出すために、親夫婦の所作は常に緩慢に演じられ、話の展開もややもするともたつきかねない。しかし「いやあ」、「えぇ」と、劇中で幾度となく打たれる相槌を用い、併せて、会話中の二者を交互にカット割りする撮り方をするなどの工夫を施すことで、作品には緩やかなテンポがもたらされ、観客は無理なく作品に感情移入することができるのだ。

舞台設定から映画史の潮流を推察することもできる。本作は戦争で子を亡くした痛ましい経験、戦後の高度経済成長で気持ちに余裕の少なくなってきている都民の暮らしなど、53年当時の一般家庭のリアリティを題材にしている。これは本作が制作された時代の少し前に欧州での潮流であった詩的リアリズム、ネオリアリズモなどに共通する「市井の人々への敬意」という視点からの影響ではないだろうか。

私たち日本人の精神に深く根付く性質として、常々反省をしなければならない陰湿さと、その土壌に根を張る紐帯。本作は時代を超えて、我々の中の光と影についていつでも問いかけを投げかけてくれることだろう。