トンボのメガネ

魔女の宅急便のトンボのメガネのレビュー・感想・評価

魔女の宅急便(1989年製作の映画)
4.0
宮崎駿の作品にはいつも複数の裏設定があることは分かっていたが、初回に観た時の印象が地味で退屈だったこともあり、何となくこの「魔女の宅急便」と言う作品を深く掘り下げて見ることを避けていた。

しかし、他の考察動画の視聴を機に本作品の印象がガラリと変わり、とても愛憎深いものとなった。

キッカケを与えてくれた動画の考察とは少し解釈が変わってしまったが、自身の中で深く核心に近づけた考察が見えたので、同じような興味を持つ人の目に止まればと思い記す事にした。

冒頭にも書いたが、宮崎駿作品のテーマやメタファーは複雑なレイヤー構造になっているので、これはあくまで考察の一部であって他の考察を否定するものではないことを補足しておきたい。


宮崎駿において、ずっと不思議に感じていたことがあった。日本のアニメ史に大きな楔を打ったプロジェクト「リトル・ニモ」について、なぜ固く口を閉ざしているのか?と。

プロジェクト立ち上げ当初からメインスタッフとして名を連ね、四年もの歳月を捧げた作品だ。悪口でもなんでも本人の口から当時の話を詳しく聞いてみたいと予々思っていた。

それだけ遣り甲斐のあるプロジェクトであったと思われるし、実現した時の成果は巨大なものになったはずだ。

まずは、ディズニーですら獲得出来なかったリトル・ニモと言う原作の映像権をどうやって当時の日本の一制作会社が手に入れることができたのか?
その時点で既に奇跡的ではあるが、その奇跡を武器に初の日米合作と言うポジションにまで漕ぎ着けた正に夢のプロジェクトだ。力のある者であれば参画したくなるに違いない。

降板される最後まで意欲を失わなかった高畑勲とは異なり、宮崎駿は途中で自ら先陣を切る形で降板している。

関係者による様々なインタビュー記事や著書で理由が語られてはいるが、それら全て到底納得できる内容ではなかった。

大塚康夫の著者にはプロデューサーである藤岡豊の判断ミスによる痛い結果だったとしか語られておらず、個人的には消化不良となっている。
それはやはり、本人の言葉で語られたことが殆どない所為もあるように思う。
「最悪の経験だった。」のコメントだけでは真意は分からない。

興味深いのは、降板した高畑宮崎の両者とも詳細を語っていないことだ。
あくまで周囲にいた人物たちの憶測しか出てきていない。

それが今回、「魔女の宅急便」を深く掘り下げたことにより、宮崎駿の当時の胸中を赤裸々に明かした貴重な作品である事に気がついた。

この作品は、アニメーターとしての宮崎駿をキキに投影した成長物語だ。

まずは古巣の東映から巣立つ所から始まる。傍らには、屁理屈を言いながらも常に共に過ごしていた盟友高畑勲(ジジ)が相棒として描かれている。

旅立つ前のキキは、小さなコミュニティの中に置いて自分の力を過信していた若き日の宮崎駿本人と重ねている。

旅の途中、貨物列車にジジと乗り込むシーンがあるのだが、干し草を寝床にはしゃぐ姿はアルプスの少女ハイジそのものであることから、意図的に自伝であることを匂わせている。

キキとジジは旅先に時計塔のある大きな街へと辿り着く。
ハイジの例に倣うと時計塔はカリオストロの城のメタファーと思われる。

最初はコリコの街全体がカリオストロの城を制作した東京ムービーかと考えたが、トンボが乗り込む悪意を感じる程のオンボロ車を見ると、monkeyと書かれていたので、当時ルパン三世で走り続けていた東京ムービーはこの車なのだと理解した。

すると、街はハリウッドなのではないか?と考えた。なぜなら飛行船が出てくるからだ。
「リトル・ニモ」の主人公の少年ニモは、飛行船に乗って夢の国スランバーランドに向かうのである。

と言うことは、飛行クラブに懸命に誘うトンボは東京ムービーの社長であり、「リトル・ニモ」プロジェクトの発起人であった藤岡豊の可能性が高い。

トンボを藤岡氏と仮定してみると全て納得が行くのだ。

原作とは大幅に異なるシナリオ、トンボの積極的な性格や冒頭の軟派なキャラ設定も原作のトンボのイメージとはかけ離れている。
オリジナルだとしても、これまでの宮崎作品で描かれてきたヒーロー像とも少し異なり違和感があった。

そして、トンボの異常なまでの飛行船への執着。暴走した飛行船に一人連れて行かれる姿に思わず鳥肌が立った。ここで間違いないと確信した。

この作品において、ホウキやデッキブラシの類はアニメーターのペンなのではないかと思う。アニメーターはペンを使って魔法をかける。
キキが飛べなくなったのは、描けなくなった時の宮崎駿自身なのだと思った。

コリコの街でのキキの苦難は、慣れない都会で自分の魔法を思っていたように周囲の人に受け入れてもらえず、徐々に孤立して行く形で表現されている。

雨の中、パイを届けた時のキキに対して宮崎駿はこう答えている。
パイを受け取った少女の態度に衝撃を受け、感謝を期待していた自分の甘さを思い知り、落ち込んだのだと。

それは、期待に胸を膨らませ向かったハリウッドで企画を出しても通らなかった時の心境に近いのではないだろうか?

作中、キキとトンボのやりとりで印象的なセリフがある。
二人で不時着した飛行船を見に行った時のシーンで「才能を仕事に出来るのは素敵なことだ」とトンボが言うのだ。
その会話の後に、キキがトンボに心を開いている様子が伺える。

創生期の日本のアニメーションは、人気とは裏腹に業界内では評価が低く、テレビ局や代理店などから冷遇されていた。

予算も低く逼迫したスケジュールでテレビアニメばかりを作っていては、いずれアニメは衰退し、卓越した技術や才能も潰されてしまう。そんな危機感を覚え、アメリカの市場に漕ぎ出したのが藤岡豊だ。

無謀な野望だったと揶揄もされているが、裏を返せば、これ程までに日本のアニメーター達の才能を高く評価していた人物は他にいないのではないだろうか?

彼らの魔法を信じていたからこそ、無謀な賭けに打って出ることが出来たのだと思うと、ニモの興行的な失敗を理由にアニメ業界から藤岡氏の居場所を抹消されてしまった事実に心が騒つく。

飛行船に一緒に乗ろうと言うトンボの誘いを断った後、ジジと会話が出来なくなる描写もあった。

リトル・ニモの映像化に早い段階で懸念を抱き、事あるごとに別の企画を出し続けていた宮崎駿と相反し、高畑勲は哲学的な要素を軸にニモのストーリーを作れると説いていた。

そもそも、リトル・ニモの映像化を足掛かりとして日米合作に取り付けていたのは明白で、冷静に考えれば企画変更の選択肢はなかったはずだ。

当時の宮崎駿の心境をキキに投影するなら、自信を喪失し焦っていたのかもしれない。
先に痺れを切らし、自ら企画を降りたのが宮崎駿だった。
高畑勲にも宮崎なしでもやれる!と言う自負があったと思うが、言葉の通じないハリウッドで自身がイラストを使ってイメージを伝えられないことは、想像以上に苦戦を強いられたのではないだろうか。
最終的にはアメリカ側のプロデューサーと激しく衝突し、セコンドからタオルを投げられる形で降板となった。
片渕須直監督の当時の様子を語ったコラムによると、高畑勲で竹取物語を次回作にと藤岡氏が予定していたらしく、ここで潰されては困るとの判断だったらしい。

宮崎駿の不在は、高畑勲だけでなく日本のアニメ界にとっての最大のチャンスを逃した要因の一つともとれる。決して口にはしないが、やはり憮然としない思いが高畑勲にはあったのではないだろうか?

結果としては同じく降板したわけだが、二人仲良くと言うことではなかったのかもしれない。
そして、後のジブリでの興行的な評価の差が、更に複雑な関係へと追い討ちを掛けたように感じる。

トンボの窮地にキキがスランプから立ち上がるシーンも実に印象深い。
デッキブラシにまたがり、今までにない気迫で魔力を溜め込んでいるキキの姿はナウシカそのものだった。

空中分解寸前のリトル・ニモをナウシカの企画で立て直したかったのが宮崎駿の本音、と言うか高畑勲に対する言い訳だったのかもしれない。

エンディングで飛行船から無事救出されたトンボが、人力飛行機を新たに作り飛行にチャレンジする姿が描かれている。
その傍らで、キキが細い糸を飛行機に繋げ、トンボと共に真っ直ぐ先に進んで行く姿になぜか涙が溢れた。

それは、現実とは真逆の結果であった虚しさもあるが、その後のジブリの活躍が藤岡豊の野望を少しでも汲み取った形で成し得た物であれば良いのに…と言う一縷の望みに触れたせいかもしれない。

私はアニメーションの「NEMO」が大好きだった。製作費55億であるとかアニメの巨匠二人の降板云々も全く関係なく…

子供の頃にあの作品に出会えた人にしか分からない魔法がたくさん詰まっているのだ。

押し付けがましいプロパガンダも一切なく、純粋に夢の世界を鮮やかに描いてくれている。
そして、大切な人と交わした約束を無責任に破ってはいけないと、シンプルだが愛情溢れるメッセージだけが伝わってくる本当の意味で子供の為に作られた映画だからだ。
大人になるにつれ自然と卒業していたが、大切な思い出として今でも光り輝いている。

最後まで大変な現場に残って完成させてくれた全ての人達に心から感謝したい。

そして、一人でも多くの子供に観てもらいたいが、出会えるチャンスが少ないことが非常に残念だ。

そして、この宮崎駿自身の赤裸々な想いを乗せて作った「魔女の宅急便」が、皮肉にも「NEMO」と同じ年に公開され爆発的にヒットしている。そこにまた宮崎駿の執念と悲運に満ちた才能を思い知るのだ。

宮崎駿の大きなコンプレックスの一つに、幼少期に空襲から逃げる際に助けを求めてきた親子を父親が拒絶し、それをただ見ていただけの子供だった自分にすら疑問を感じたと言うエピソードがある。

結局は自分もあの時の父親と同じだったのだ、と言う罪の意識が彼を苦しめ続けているのではないか?
それが「風立ちぬ」の正体ではないかと推測している。

リトル・ニモの野望は、日本のアニメーションの魔法を心から信じていた男の野望だったからこそ、多くの猛者達が共に船に乗り込んだのだと思う。
それ故に、アメリカのプロデューサーに屈する形での時間の浪費を藤岡氏が容認していたことに、宮崎駿は少女のように傷つき許せなかったのかもしれない。

それだけハリウッドは未知の領域で巨大なナイトメアのような場所だったと言えるだろう。



魔女の宅急便に話を戻すと、
トンボを藤岡豊と捉えると、他のキャラクターのモデルも気になってくるもので、、色々と妄想してみた。

理屈ぽっく文句ばかり言っているけど大切な相棒のジジは、高畑勲で決まりだ。

これにはかなり根拠のない自信があるのだが、パン屋の主人のフクオは大塚康夫にしか見えない。その前提でジジとの微妙なやり取りを見ると少し楽しい。

飛行船が時計塔にぶつかる直前に、助けようとするお爺さんに「逃げて!」とトンボが叫んでいる。思うにこのお爺さんもモップを持っているあたり誰かのメタファーであることは歴然だが、正直なところまだよく分からない。

他のキャラクターにもきっと誰かを乗せているはずなので、ジックリと妄想を膨らませて行きたい。