このレビューはネタバレを含みます
2017年9月レビュー(他のサイトより移行)
最強信者キチジローというサブタイトルをつけた映画だった。
日本人が作った映画であったとしたら?
同じように評価が高かったのだろうか?という疑問を拭い去ることができない作品ではありましたが、宗教とは?信仰とは何か?を考えさせられる良作だと思います。
遠藤周作の「沈黙」を読めばまた印象が変わるのかもしれませんが、、
迫害されても信仰心までは奪えない!的な感動よりもキリスト教への疑問と興味が一層深まると共に日本人の信仰の闇を垣間見る映画となりました。
日本はどんな宗教も育たない国
というような内容が本作にもありましたが、日本と宗教をテーマにした本を読むとよく見かけるフレーズなので認識はしているけれど、ちゃんと理解は出来ていないかもなぁ…と改めて感じました。
それはキリスト教のみならず、自分達日本人のことも正確に理解できていないということになる。
非常にヤバイことだが、自分も含めて理解できている人は多くない気がする日本。
「死んだら辛いこともなく天国に行けるのでしょう⁈」
とキラキラした目で問いかける小松菜奈扮する村人に、戸惑いながらも「そのとおりだよ」と答えるロドリゴ神父。
ん?ちょっと待てよ?
てことは今は辛いけど死んでからはハッピーになりたいから信仰してるってこと?
それって本当に信仰なのか?と疑問がよぎる。
このやり取りが全てを物語っていた気がする。
信仰しようがしまいが我慢しようがしまいが救済される人は既に創造主によって決まっているのがキリスト教なのでは?
偶像崇拝も本来はNGであって、信仰心とは形のないもの。
よって、踏み絵なんて意味がないから踏んでよし!が正解なのでは??
なぜ、布教に来ている神父達がそれを理解しておらず、無意味な迫害に一緒に苦しむのか?
ある意味真理を理解したのは棄教した神父達の方だったのではないだろうか?
そうなってくると、形だけでいいからと踏み絵をさせていた武士達の方が先に理解していたことになるんじゃ…
井上筑後守がキリスト教をデンジャーであると繰り返し言っていたが、危険と言うより危ういというニュアンスだったのかもしれない。
宗教形態のみならず、それに付随する他国との利害関係を意図してのデンジャーだったのかもしれないけれど。
ラストに十字架を胸に火葬されるロドリゴだが、十字架を置いた妻の行為にこそ神がいた。
そんな気がいたしました。
蛇足
個人的に最強信者だったのがキチジロー
何度心折れても戻ってくる信仰心はもはや弱さではなくホラー級の強さに…
キチジローはホラーとコメディが混在する神の化身だったのかも?と思ったりもしました。